4月19日(土)

 今年の旅のテーマのひとつに、花を見ようと思っている。

 午前9時30分。嫁の知り合いから、更埴(こうしょく)市の杏(あんず)が
満開になったとの知らせが届いた。
 更埴市というのは、長野県長野市の南部に位置する町で、人口4万人程度の小
さな町だけど、豊かな自然に恵まれ、とりわけ杏(あんず)が名産で、10万本
の杏(あんず)が山を飾るらしい。

 そんなわけで、おもむろに私と嫁は、東京駅に向かう。
 どこへ行くんだって?
 杏(あんず)を見に行くのですよ、ちょっと長野県まで。
 唐突じゃないかって?
 私の行動はいつも唐突ですよ。

 午前10時30分。東京駅。
 JR東日本の「みどりの窓口」は、長蛇の列。
 JR東海の「みどりの窓口」は、ガラガラなので、こっちでキップを買う。

 長野新幹線は、ひさしぶりだなあ。
 長野方面から入線してきた新幹線を、わずか5〜6分で、掃除して、座席をく
るっと反転させる技術は、日本だけのものだろうなあ。

 午前10時52分。あさま513号長野行きに乗車。  東京駅で買った駅弁「大人の休日」を食べる。 「大人の休日」は、駅弁としては桁外れに値段の高いお弁当だが、味のほうも桁 外れにおいしい。  この駅弁が発売中止になっては困るので、極力買うようにしている。お金に余 裕のある人はご協力あれ。

 うまい! ほんとにうまい。  かぼちゃがウグイスの形に切られている。  正式名称は「大人の休日〜春〜」である。  季節ごとに、楽しい内容に変わる。  合鴨のスモークなど、東京のレストランでも相当高いレベルのお店でないと食 べられないような味だ。  きょうはVAIOを持って来ていないので、読書。  数日前から読み始めた『巨人軍に葬られた男たち』(織田淳太郎・新潮文庫) は、すさまじい本だ。  昭和48年に、夭折した湯口敏彦投手の死に至るまでを描いた本だ。  ちょっとエキセントリックな部分もあるので、ぜんぶがぜんぶ真実として読む のがためらわれるのだが、話半分にしても、奢った巨人軍の体質が浮き彫りにな っている本だ。  30年ほど前、湯口投手死亡のニュースに、不可解なものを感じ、ずっとその 真相を知りたいと思っていた私には、かなり靄がかかっていたものが払われたよ うな気がする。

 午後12時15分。終点長野駅のひとつ手前、上田駅で下車。  上田を訪れるのは、実に30年ぶり。  30年ぶりの町というのは、まった昔の記憶がない。  新しい町の印象だ。

 さっそく、駅のお土産品売り場を物色。 『桃太郎電鉄』用の取材だ。

 杏(あんず)と、栗が多いのは、予想していたけど、やたらと、くるみをつか ったお土産が多い。  試食しまくる。  くるみ饅頭なのに、「くるみそば」というネーミングのお饅頭と、くるみシル クというお菓子が抜群においしかったので、さっそく買う。  私の日記に必ず、くるみパンが出てくるように、私はくるみが大好きである。 前世はリスである(嘘)。

忍術・猿飛ようかん!

 さて、せっかち旅行を旨とする私は、観光タクシーをチャーター!  恒例の電光石火! 疾風怒濤! 台風一過! 二兎追う者は一兎を得ずのフル スピードで、上田市を駆け巡るのである。  上田の商店街は、かなり充実している。  ゆっくり歩いて、ひとつひとつのお店を見て歩きたいほど、古い建物が多い。  町のあちこちに「六文銭」のマークや、「六文銭」の名前のついたお店がある。 「六文銭」といえば、真田昌幸・幸村親子で有名な、真田一族の旗印だ。  交差点の地名の表示板の脇にも、「六文銭」のマークがついている。  上田は江戸時代、ほかのお殿様が治めていたのに、いまだに真田一族を慕って いる。

 午後12時30分。まずは、「池波正太郎・真田太平記館」へ。  私はあまりにも司馬遼太郎さんが好き過ぎるために、ほかの歴史小説家の方々 の文章にあまり馴染めないようになってしまっているのだが、池波正太郎さんと 海音寺潮五郎さんだけは読める。  とくに池波正太郎さんは、グルメ作家として尊敬しているし、『真田太平記』 にも夢中になった。  もともとこの「池波正太郎・真田太平記館」の存在を知ったのは、銀座「天ぷ らの近藤」に張ってあったポスターだ。池波正太郎さんは、ご主人が御茶ノ水の 「山の上ホテル」の時代からひいきにしていた。  だから上田といえば、まず訪れたいのが、この「池波正太郎・真田太平記館」 だったのだ。

 平成10年に出来たばかりの記念館だけに、館内はきれいで、展示の仕方もお しゃれ。池波正太郎さんの生原稿が展示してあって、やっぱり原稿は、万年筆で 書いたほうが格好いいなあ!と、しみじみ思う。  パソコンは書くのには楽だし、保存も楽だけど、風情がないなあ。 「忍忍洞(にんにんどう)」という、ちょっとした暗い通路を通って、外へ。  蔵で上田市のビデオを流していたり、『真田太平記』の挿絵を描いていた風間 完さんの絵などが飾ってある。  受付の近くの売店では、池波正太郎さんの本を売っている。  買いそびれている本などを数冊買う。  こういう記念館で、作家の過去の作品が揃うというのは、読書好きには本当に 助かる。  実現不可能だとは思うけど、過疎に苦しむ村に、本屋村を作ってくれないかな あ。300メートルくらいの道路の両側に、100軒くらいのプレハブでいいか ら本屋さんが並んでいて、1軒、1軒が、著者の「あいうえお」順に並んでいる の。  道路のいちばん手前の本屋さんは、1軒まるごと「赤川次郎」さんの本だけ売 っていたりしたらいい。本を探しに来る人が見つけやすいようになっている。 「BOOK OFF」は、出版業界にとって、望まれることのないお店だが、品 揃えのよさは、本屋さん業界も考えるべき時期に来ていると思う。  ついでに、映画化されたDVDや、ビデオも売っていてくれると助かる。 「池波正太郎・真田太平記館で、のんびりしているわけにはいかない。  次、行ってみよう!  午後1時。上田城へ。  上田城といえば、戦国時代、真田氏の居城として栄え、関ケ原の合戦のときの 上田城攻防戦は真田幸村の父親の奮迅ぶりが…と、いくらでも話し続けられるほ どの話題のあるお城だが、きょうの目的は、お城の歴史ではない。  東京ではすっかり桜が散ってしまって、新芽が吹いて、新緑の季節が始まって いるが、なんとここ上田は、桜がちょうど満開だったのだあ!  何だかたまたま寄ったお店のくじ引きが当たったようなうれしさだ。

 上田城址をきれいにぐるりと桜が650本ほど囲んでいて、もう美しいったら、 ありゃしない!   お城のお堀に落ちた桜の花びらが、まるで着物の帯の模様のように美しい。     もう、こんな感じ!  桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜         桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜   私 嫁   桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜   私 嫁   桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜   私 嫁   桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  桜 桜 桜 桜 桜 桜   私 嫁   桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜  やっぱり、桜はお城の桜にかぎるねえ!  このままずっと夜までここにいたいくらいだ。

 お城を一周するのはけっこう大変なんだけど、最近歩きなれているので、へば らずに一周することができた。  途中、ついついお醤油の匂いに誘われて、はまぐりの串焼きを食べてしまった。  取材のためだ、取材! 嘘! 縁日風の食べ物は『桃太郎電鉄』には、関係ご ざいません。

 そういえば余談だが、上田城は、真田家の居城として有名だけど、関が原の戦 い以後、仙石氏が、居城とした。この仙石氏が、100年後といってもまだ江戸 時代、兵庫県の但馬地方の出石(いずし)城に転勤させられた。  私がよく京都から行く、あの皿そばでおなじみの出石(いずし)だ。  出石の皿そばは、この仙石さんが、上田の戸隠そばが元になっているのである。  ちょっとした豆知識でしょ?  歴史と地理が食文化にまで結びついているので、おもしろい。  やっぱりお城の話をしちゃったな!  ありゃ? 毎度おなじみWEBデザイナーの菅沼真理(通称:すがねまチャン) さんは、家族といっしょに長野の善光寺に行っているの? けっこう近いところ にいるじゃない。不思議だなあ。  何々、善光寺の桜がきれいとな。  上田城の桜もきれいだぞ!  携帯電話の即効性は、テレビのニュースよりも速くて、身近だ。  午後1時30分。あわただしい。  上田城の北に位置する、旧・北国街道へ。  北国街道ということは、琵琶湖の北の私の好きな町・長浜からずっと続いてい るってことだな

 紺屋町、柳町、常盤町といった古い町並みが続く。  300年続く、造り酒屋とか、格子戸の茶房、漆喰(しっくい)が剥がれまく った古い家などが並んでいる。  何だ? 「保命水」というのは?  上田で初めての水道水となった水なの?  よくわからないなあ。井戸水だと思っていた。  この水は「生のまま飲まないでください」という張り紙があるのに、係りの人 が飲むように勧める。思わず飲んだが、まるくてなめらかな味だ。

 あたふたと、北国街道をあとにして、国道18号線を西へ。  いよいよ、更埴(こうしょく)のあんずの里をめざす。  きょうは天気が不思議で、カラッ!と晴れたかと思うと、ぽつぽつと雨が落ち てきて、また晴れる。  旅に支障をきたすほどではないので、進軍、また進軍!  左に、長野新幹線の高架線が見えたかと思うと、しなの鉄道の景色に変わり、 千曲川がずっとついてくる。  何だ? あの恐ろしく古いコンクリートでできた橋は?

 あとで地図で調べたら、「鼠(ねずみ)橋」というようだ。  とてつもない由来がありそうで、まったくなさそうな橋だ。  戸倉(とぐら)町に入る。  そういえば、今年の9月に、更埴市と、この戸倉町と、上山田町が、合併して、 「千曲(ちくま)市」になるそうだ。  難読文字の更埴市が姿を消してしまうのだ。 「更埴(こうしょく)市」というのは、難し過ぎるから。「千曲市」への変更は 非常にいいことのように思える。 「更級(さらしな)市」という名称も候補に上っていたらしい。「更級市」だと、 おそばがおいしそうだ。  そんなことを思いながら、沿道に「更埴」の文字と、「あんず」の文字が増え てきた。 「あんずの里」の標識も見えてきた。  観光地によくある「駐車場はこちら」の看板も増えてきた。  もう近いのだな!と思っていてると、「あんずの里への駐車場はこちら」の看 板が延々続く。  おいおい! 最初の「駐車場」に停めた人は、いったい何キロ歩かされるんだ い? 私だったら「あんずの里」まで、たどりつかないぞ。  タクシーの人が車の入れないぎりぎりまで行ってくれたので、歩く距離がずい ぶんと減った。それでもなだらかに続く上り坂なので、けっこうきつい。

 薄ピンク色のあんずの木が、両側に広がって、気持ちいい。  花のトンネルと呼ぶには意外と背の低い木で、萼(がく)の部分がピンク色をし ている。  それでもじゅうぶん、あんずに囲まれた道を歩いて行く充実感はたっぷりある。  びっしり咲いているあんずを何かにたとえたいのに、いいたとえが浮かばない。 「きりたんぽの大群」では、風情がない。

 途中の茶店で、あんずジュースを飲む。  紙パックのあんずジュースだ。  以前、松本城で飲んだ瓶入りのあんずジュースが、めちゃくちゃおいしかった んだけどなあ…。  あのジュースが、もう一度飲みたい。  あんずは、私が子どもの頃は、りんご、ミカンと並ぶポピュラーな果実だとお もっていたけど、いつのまにか目立たなくなってしまっているような気がする。  お祭りのあんず飴のイメージが、あんずを過去のものにしてしまっているのだ ろうか?  一説には、アダムとイブが食べた果実は、りんごではなく、あんずだったとい う話が根強く残っているそうだ。そう思うと、あんずもまだまだ脚光を浴びても いいような気がする。  午後2時30分。「あんずの里」展望台に到達する。  展望台といいながら、山の裾野で、山の中腹でもない。  ちょうどいま、あんず祭りの時期だそうで、土曜日ということもあって、観光 客は多い。しかもみんなで、あんずソフトの行列に並んでいる。まるで展望台に いる人のほとんどの人が、あんずソフトを食べているかのよな売れ行きだ。

 もちろん、食べる。  シャーベットに近いソフトクリームで、じつにおいしい。  少し雨が強くなってきた。  ここで、嫁のネット友だち・山浦宏一(山さん)が到着。  山さんは、ケーブルネットワークの「テレビ更埴」に勤務していて、あんず の定点観測のカメラを設置して、あんずの開花を知らせてくれていたのだ。  山さん無しでは、ここまで来なかったようなものだ。  午後3時。山さんの車で「あんずの里物産館」へ。

 意外とあんずをつかったお土産の種類は少ない。  どうしてもシロップもの、ゼリーものに集約されてしまう。  残念ながら、買いたいものがなかった。

やまサン

 午後3時30分。山さんと、屋代(やしろ)町の喫茶店「LAFORET」 へ。 更埴市の情勢や、ケーブル・ネットワーク、長野県議会の話などを聞く。  地元視点の長野県政を聞くのは、おもしろい。    午後4時。屋代(やしろ)駅まで歩いて行きたいので、山さんとはここで別れ て、私と嫁は、屋代(やしろ)駅へ。  屋代(やしろ)駅は、妙に近代的で、うつくしい駅舎だ。

 しなの鉄道は、第3セクターなのに、何でこんなに立派なんだろう。しなの鉄 道はいま注目されている鉄道だ。社長さんに民間の人が就任して、徹底したサー ビス、コストダウンに取り組み、かなり効果を上げている。

バスの名前も「あんず号」

 午後4時26分。屋代(やしろ)駅から、長野行きの列車に乗る。  乗車直前に、山さんが再び登場。  わざわざお土産をたくさん持って来てくれた。  何だかもうしわけない。  旅は、いい人にひとり会うだけで、その町の印象がガラッと変わってしまうも のだ。

 列車は3両編成。  川中島(かわなかじま)に近づくと、桃の木が増えてきて、車窓を飾る。

 午後4時45分。長野駅に着く。  あれだけあちこち行って、まだ夕方の5時である。  お蕎麦を食べて行っても、のんびり東京へ戻れる時間である。  泊まって行くのだとおもっていたでしょ?  東京から長野まで、いまや新幹線でわずか1時間半なのだ。  通勤圏といっても不思議ではない距離になっている。  長野駅は、7年ぶりの「善光寺ご開帳」一色に染まっている。  私には、善光寺のご開帳がどの程度のものなのか、よくわからないのだが、な にしろ「ご本尊ご開帳きっぷ」なるものまで発売されているし、町には「ご開帳」 の文字があふれかえっているのだから、相当のものなのだろう。  何たって長野県民であるすがねまチャンが、わざわざ東京から長野に戻って、 この「ご開帳」を見に行くというくらいなのだから、すごいことなのだろう。  前回のご開帳のときには、500万人以上の参拝があったそうだ。  500万人となっ!

 門外漢の私にうちゃんと説明はできないのだが、「前立本尊(まえたてほんぞ ん)」という仏様がふだんは、宝庫のなかに安置されているんだけど、7年に一 度、本堂に戻る儀式が「ご開帳」というらしいのだ。  何かダイジェストにもなっていないような解説の気がするなあ。ははは。  さて、どこで蕎麦を食べて帰るか。  もともときょうは、上田市に行って、あんずの里を見て、また上田まで戻って、 新幹線で日帰りする予定だった。  つい屋代駅という文字を見て、しなの鉄道に乗りたくなって、長野駅まで来て しまっただけで、まったく長野に来る予定はなかった。  だからどこでお蕎麦を食べていいやら、資料も持って来ていない。  そういえば、お蕎麦通といえば、長野駅前の「長谷川書店」の長谷川浩一郎さ んがいたことを思い出す。 『おいしい桃鉄』(小学館)の51ページ。日本一おいしいおそば屋さん黒姫の 「ふじおか」を紹介してくれた人だ。  もともと長谷川浩一郎さんは、成沢大輔くんの知り合いで、成沢大輔くんが長 野まで新蕎麦を食べに行くというので、わが家族もいっしょにのこのこついて行 っただけなので、まだ一度しかお目にかかっていない。  まあ、一度会った誼で、駅近くのおいしいおそば屋さんのひとつも聞けたらと 思って、長谷川書店へ。  アポなしの、急襲だ!  いらっしゃらないかもしれないとおもったら、長谷川浩一郎さんがいて、こち らから「以前、成沢大輔くんについて来たさくまです!」と挨拶する間もなく、 長谷川浩一郎さんのほうから、「おやおや! おひさしぶりです!」と気づかれ てしまった。

「ぶしつけなんですけど、どこかこの辺で、おいしいおそば屋さんを教えていた だこうとおもいまして…」 「まだここ1時間は、新幹線に乗らなくて大丈夫ですか?」 「はい。あとは新幹線に乗って帰るだけですから!」 「じゃあ、車を持って来ますから、ちょっと待っていてください!」 「ええ〜〜〜!」  突然押しかける私たちも、無謀だが、いきなり車でおそばを食べに行きましょ う!といってくれる長谷川浩一郎さんも大胆な人だ。  午後5時30分。というわけで、長野市郊外の「蔵之内(くらのうち)」とい うお店へ。 場所がどこだか、わからな〜〜〜い!

 すごく真新しいお店で、まだオープンして1年ほどらしい。 「あれ? 長谷川さん! 『支度中』の看板が立っていますよ!」 「大丈夫です。さっき電話して、開けろ〜!と言っておきましたから!」  石臼そばと、田舎そばのどちらを頼んだらいいか悩んでいると、メニューに 「半盛(はんも)り」の文字が目に入った。  半分サイズだな。これはいい。  なにしろ私も嫁も、多品種少量ずつ食べたい。  鴨ネギもおいしそうだし、わさびの葉の漬物も食べたいし、鴨丼もおいしそ うだ。次々に注文してしまう。

 おそばが来て、驚いた。 「ええっ! これが半分盛り? 東京の一人前よりも多い!」  これでは、ちょっとおそばでも手繰ってとうより、おそばの晩餐会になってし まった。  しかも、うまい!  田舎そばの弾力は、見事な筋肉質。  噛むたびに、ぐぐっ! ぐぐっ!と、押し返してくる。

 いかん! ダイエット中なのに、このおいしさには静止が効かなくなってい る。 ただでさえきょうは、あんずジュース、あんずソフトを食べているから、 糖分オーバーの領域に入っている。だからこそおそばをちょっと食べて帰るはず だったのに。  家に帰ったら、しっかり2キロ増。  長谷川浩一郎さんの石臼そばの、一人前の大きいこと。  でも「この程度は、おやつですから!」という長谷川浩一郎さんは、すごい。

 まあ、長谷川浩一郎さんの笑顔と体型を見れば、確かにおやつかもしれない。  長谷川浩一郎さんの食い道楽ぶりは本当にすごくて、47都道府県行ったこと がない県はなく、もちろんさぬきうどんの昔からのファンで、池上製麺所ももち ろん行っている。最近は、博多中州の屋台にもなじみのお店が出来てしまったと か。  私のように『桃太郎電鉄』で、旅行が仕事の人間が、47都道府県を歩き回っ ているのはわかるけど、長谷川浩一郎さんのい場合は、本当に食い道楽のたまに 全国を飛び回っているのだ。 「ええっ? そ、そ、そんな!」  こっちがおそばの代金を払おうとしたら、長谷川浩一郎さんに払われてしまっ た。 「そういうことされると、まるで私たちが『たかり』みたいですよ! 突然押し かけて、ただ食いして!」 「だったら、東京に行ったとき、成沢大輔さんと人形町の『喜(き)寿司』をご ちそうしてください!」 「それなら助かります!」  よく考えたら、長野の人がとっさに、「喜(き)寿司」の名前が出ること自 体、変であった。食い道楽の人ならではだ。 <私がもう一度訪れるためのメモ> ●蔵之内 住所:〒381―0034 長野市高田沖391の4 電話番号:026(226)7553 営業時間:11:30〜14:30、18:00〜21:30 定休日:月曜日 備考:予約を。田舎そば。鴨丼。  驚きは、まだ終わらなかった。  長谷川浩一郎さんは、善光寺まで連れて行ってくれたのだ。  おお! きょう、すがねまチャンが携帯メールで自慢していた桜を、私たちも 見ることが出来てしまったぞ〜〜〜!  うーーーん。なるほど、美しい。  上田城の桜に負けず劣らずだ。  しかも夜桜なので、よけいきれいだ。

「さくまサン! ここから善光寺に入ると、大きな柱がありますから、その柱を 触ってくれば、ご本尊を拝んだことになりますから、どうぞ! 私はここで待っ ていますから!」  ええっ。言われるまま、お寺に入っていくと、あれ、本堂にいちばん近いとこ ろに横付けしてくださったのだ。  おお! これだな。 「大回向柱」というのか。「だいえこうばしら」と読むのかな。  この柱には、前立本尊阿弥陀如来の 右の御手に結ばれた金糸が善の綱となって結ばれ、大回向柱に触れる人々に、み 仏のお慈悲を伝えてくれるらしいのだ。  何だか、バックステージ・パスをもらって、いい思いをしてしまったような気 分だ。

 帰り道、長谷川浩一郎さんの車から眺める桜がまた美しいのなんの。  すっかり、長谷川浩一郎さんのお世話になりっぱなしになってしまった。  長野のみなさん、本を買うなら、長野駅前末広町の「長谷川書店」へ。  午後7時34分。あさま503号に乗車。  午後9時16分。東京駅着。  午後10時。帰宅。  とても1日の出来事とは思えない!

きょうのお土産!

 

-(c)2003/SAKUMA-