6月21日(金)

 午前5時30分。あっ。また早く起きてしまった。
 遠足の日に早く目が覚めてしまう子どもといっしょだな。
 起きたついでだ。
 インターネットの「JRおでかけネット」で時刻表を調べて、でかけて
しまおう。
 くるみレーズンパンをひとつかじって、いざ出陣!
 荷物はすでにまとめてあるから、旅行用キャリーバッグを引っ張りなが
ら、京都の仕事場を出る。
 今回京都に3泊したのに、とうとう管理人の久野さんに会わず終いだっ
た。
 最近、京都のマンションは、前線基地、または仮眠所になっているだけ
だからなあ。

 午前7時18分。京都駅からのぞみ33号に乗車。
 ありゃ。何のことはない。
 一昨日の新幹線とおなじ時間、おなじ車両じゃないか。
 これじゃ本当に、通勤電車だよ。

 午前8時20分。岡山駅。
 一昨日は、この岡山駅から、ひかりレールスターに乗ったんだけど、き
ょう行く場所はレールスターが停まらないので、こだま605号に乗る。

 岡山→新倉敷→福山→新尾道→三原。
 どの駅でも、3〜6分間、ひかり号、またはのぞみ号に追い越されるた
めに停車する。こだま号は、すっかりローカル線になってしまった。
 ローカル線になったとたん、新幹線の駅は通例とは逆に、駅が増えたの
って知ってる? 新富士駅、三河安城駅、厚狭(あさ)駅、東広島駅…。
 密かに、新幹線駅は増えている。

 午前9時14分。三原駅着。
 きょうも広島県にご出勤です。
 先週からずっと、広島方面にばかり足を踏み入れている。
 それだけ広島県が大きいという証拠でもある。

 1番線に乗り換える。
 さすが新幹線ローカル駅、エスカレーターは、昇りのみだ。
 うんしょ、うんしょ。旅行用キャリーバッグは、階段がつらい。
 それにしても、4500円の安物キャリーバッグ、頑丈だ。しかもいち
ばん音が静か。
 午前9時31分。三原駅から、呉(くれ)線に乗る。
 例によって、呉(くれ)線といいながら、呉(くれ)まで行かない。
 広(ひろ)までだ。
 広(ひろ)は、広島の略称ではない。広(ひろ)という町が、呉(くれ)の手
前にある。
 2両編成だ。4人掛けの席ではなく、ロングシート。  いわゆる東京の山手線のような、長いシートで向かい合わせるタイプだ。  おばあちゃんの集団4人が、通路を隔てて、2人ずつ座る。  もちろん、大きな声でしゃべり合う。 「ガ〜ハッハッハ!」  耳が遠いから、よけいに大きな声でしゃべる。 「ガ〜ハッハッハ! やだもう〜〜〜!」  やなのは、こっちだ。  いいから、おなじシートに、4人並んで座れ!  列車は山沿いを、海を見下ろすように走ったかと思うと、少しずつ海に 近づいて行って、終いには海沿いを走るようになった。  海と列車が平行の位置だ。  少し靄(もや)がかかっているけど、いい天気。  造船所が多い。  瀬戸内海は波が無いから、天然の良港のせいで造船所が増えたんだろう な。  いま見える瀬戸内海もまったくプールのように、静かで、ときおり船が 通って、波を作る程度だ。  造船所に立つ、いくつものクレーンが目立つ。  空に向かって伸びている。 「オレのほうが、高いぞ!」「いや、オレのほうだ!」と、競い合ってい るようだ。  海の向かい側は、しまなみ海道の島々だ。  午前10時。三原駅から、30分ほどで、竹原(たけはら)駅に着いた。
 途中の駅は、ほとんど無人駅だったが、さすがに竹原駅は大きい。  跨線橋を渡って、改札口を出る。  まず駅構内のコインロッカーに、旅行用キャリーバッグを入れる。  小さな町だから、このままガラガラッと引きずって行ってもいいのだけ れど、ひとりのときは危険な目に会うことが多いから、用心! 用心! 「あいふる316」と呼ばれる古い商店街を抜けて行く。  ここも大きなスーパーが進出して来たら、潰れてしまうのだろうか。  何度もいうけど、マイカルのような巨大スーパーのせいで、商店街が潰 れ、巨大スーパーまで潰れるパターンは、やめてほしい。日本自体が滅ん でしまう。  きょうも暑い。  日中、30度を越えるという予報を聞いたせいで、こうして早く出てき ている。  若い頃は、旅先で、天気予報なんて気にしたこともなかった。  雨よ降れ! 風よ吹け!  槍でも、鉄砲でも、どん!と来いだった。  今は、SF映画の未来のスーツのように、自動温度調節の軽量モビルス ーツとか無いかなあ!と思ってしまう。暑さ、寒さの感じ方は、人によっ て違うからね。  ぶらり、ぶらりと、のんびり歩いていたものだから、古い町並み保存地 区まで、駅から徒歩10分の距離なのに、30分もかかってしまった。  まだ「町並み保存地区」を見ていないけど、すでにあとこちに、古い家 が多い。  午前10時30分。「町並み保存地区」に入った。  おお! 見事な町並みだ。  ここは、本当に古い町並みを保存してるんだ!  倉敷のように、人工的に「白壁の町並み」を作っている町が多いなかに あって、この古さはけっこう威圧感がある。
 ニッカウィスキーの創設者の家とか、本陣跡、豪商の家の跡などが並ぶ。  メインの通りだけ、古い町並みがあるだけという町が多いが、竹原では、 どの路地にもずっと古い町並みが続く。  ひょっとすると、過去に訪れた「町並み保存地区」のなかでは、いちば ん規模が大きいんじゃないだろうか。  日本じゅうにはまだまだ、すごいところは、いくらでもあるってことで すな。
「竹原市歴史民族資料館」に入る。  ちょうど小学生たちが見学しに来ていた。  受付のおばちゃんが「暑いですねえ! 涼んで行ってください!」とい って、扇風機を指差す。クーラーではない。  おばちゃんと会話する。 「竹原の有名人は、なんといっても頼山陽(らいさにょう)だね〜」  江戸時代に『日本外史』を書いた、頼山陽(らい・さんよう)だ。  日本史の受験で覚えた、変わった名前のひとりだ。  歴史の勉強って、変な名前のほうが、覚えやすい。  塙保己一(はなわほきいち)。  茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)。  千々石(ちぢわ)ミゲル。  十返者一九(じゅっぺんしゃいっく)。  九十九一(つくもはじめ)…。懐かしい。ははは。  そうだ。頼山陽(らい・さんよう)だった。 「町並み保存地区」に入る手前に、銅像が立っていた。  何たって、頼山陽(らいさんよう)の名前にちなんで、山陽道、山陽本 線、山陽放送、山陽テレビって名づけられた…わけがない。その逆だった のだろう。
 頼山陽の家系は、先祖代々、学問の家系のようだ。  何がすごいって、この竹原では、学問のできた人たちを、神社に祀って いるというのだ。しかもその神社に祀られているのは、頼山陽のお父さん や、お祖父さん、親戚の人だったりする。  頼山陽が生まれたのは、突然変異ではなかったわけだね。  頼山陽の家系以外の人でも、この神社には多く祀られているそうだ。  おばあちゃんと話す。 「竹原は、学問の町ですねえ!」 「そうですね。何といっても、頼山陽(らいさんよう)が出てますもんね え!」 「頼山陽の家系は、みんな頭がよかったみたいですね?」 「そうなんですよ。この町並みには、頼山陽の親戚の家もいくつか残って いるんですよ! 頼山陽のおじさんの頼春風(らいしゅんぷう)さんの家 とか、頼山陽のおじいちゃんの頼惟清(らいこれすが)さんの家とかね!」  どれもこれもすごい名前だね。  頼惟清(らいこれすが)なんて、「清」を「清々(すがすが)しい」の 「すが」から取るもんなあ。  ちなみに、明治維新のときに活躍した頼三樹三郎(らい・みきさぶろう) は、頼山陽の3番目の子どものようだ。 「じゃあ、今も竹原は、学問の町なんですか?」 「それがねー」と、おばちゃんは困った顔をする。 「忠海(ただのうみ)高校っていうのがあって、故・池田勇人(いけだは やと)さんとか、画家の平山郁夫さんとか出たんやけどねえ…」 「最近は、ちょっとね…」 「竹原高校のほうが高こうなったいうけど、ちょっとね…」  どうもおばちゃんは、竹原がもっと『学問の町』であってほしいようだ。  実際、全国から勉強のできる子どもをスカウトして来て、東大にたくさ ん人材を送り込むようなことがあってもいいような気がする。 『学問の町』って、ネーミング、格好いいよね。
 小学生たちが「ありがとうございましたあ!」と、双子のまな・かなみ たいな声で斉唱すると、おばちゃんは「忘れもんせんと、帰りーよー!」 と、この地方の言葉で答える  方言っていいよなあ。  標準語は冷たい。敵を作る言葉だ。  東京の人間には「まっつぐ!」しか、方言が無いからね。  うらやましいよ。  なおも歩く。 「竹原」というくらいで、竹が多くて、竹細工屋さんも多い。
 午前11時。「町並み保存地区」の最後のほうにあるお店「いっぷく」 に入る。  実はこのお店の名物「瓦そば」が食べたかった。
 あれ? お店の人がいないぞ。  隣りの家で花にお水をやっている人がいたので、聞いてみたら、なんと そのおばちゃんが、このお店の人だった。ははは。のんきだなあ。 「瓦そば、やってますか?」 「はい。でも瓦を焼くのに、10分ぐらいかかりますが、いいですか?」 「いいですよ!」   「瓦そば」というのは、家の屋根に乗せる瓦を、焼いて、その上に、茶そ ばと、錦糸玉子と緑色のきざみネギを乗せる。  石焼きビビンバみたいなものだ。  さらに、レモンともみじおろしを、おちょこのおつゆのほうに入れて、 茶そばをつけて食べる。  ちょうど、焼きそばを、おそばのおつゆに浸して、食べるようなものだ。  わさびの代わりに、もみじおろし、レモンというのが、おもしろい。
 じゅー、じゅー! じゅー、じゅー!  茶そばが、瓦で焼ける音が楽しい。  家庭のホームプレートなんかで、焼きそばを焼くと、最後のほうで、麺 が固くなるでしょ。あれって美味しいじゃない。あの固い部分ばっか食べ たいと思っていたことが、この瓦そばで、実現するのだ。  そのくせ、せっかちな私は、じゅうぶん麺が固くなる前に、どんどんお つゆにつけて、ちゅるちゅる食べてしまうのであった。だって、美味しい んだもん。 「あの〜、山口県のほうにも、この瓦そばってありますよね」 「はい。あの瓦そばと、うちのは、出(で)がいっしょなんですよ!」  西長門地方の瓦そばが元祖といわれていてね。明治時代、西郷さんの西 南戦争のときに兵隊さんたちが瓦を熱して食べたといわれるのだ。  戦争は嫌だけど、戦争によって、普及した食べ物は実に多い。  外で、おばちゃんたちが騒いでいる。 「あれ、これはサスペンス劇場ね!」 「ほんと。ほんと! わあ〜!」  どうやら、この竹原で、『サスペンス劇場』の撮影があったようだ。  おばちゃんたちは、TVが好きだ。  TVの影響力はすごいね。  平日だというのに、この竹原には、観光客が多い。  先週行った、山口県の柳井(やない)も、白壁の町並みで美しかったけ ど、観光客がほとんどいなかった。  観光事業の観点から見ると、『サスペンス劇場』は重要ですなあ。  この「瓦そば」のお店で、タクシーを呼んでもらって、竹原駅へ。  コインロッカーからキャリーバッグを取り出し、そのまま三原駅まで向 かってもらう。 タクシーが来るとき見た、海岸沿いを走ってくれると思 ったからだ。  ところが車は、ぐんぐん山の頂上のほうに向かって登って行くではない か! それって正反対なんじゃないの? 「三原駅に向かってるんですよね?」 「新しく出来たこっちの道路のほうが、早いんですよ!」  うーーん。海が見たかったんだけどなあ。  しかも、どう見ても、細い山道としか思えないんだけど…。  と思った瞬間、急に道が開けた。  高速道路のような道だ。  あれ? でもまた片側一斜線の道に戻った。  あっ。また道が開けた。  どういうことだ。 「この辺の地主が、まだ粘っていて、ところどころ、まだ完成していない んですよ! 昔と違って、粘っても、お金がつり上がるわけでもないのに ねえ!」  そうか。そういうことか。のんきだ。 「竹原の名産は何ですか?」 「塩田とぶどうだったけどね…」  そうなのだ。竹原は、赤穂と並ぶ塩田として、有名だったのだ。 「でも塩田はもう、まったく無いですねえ!」 「ぶどうは、最近流行りのニューピオーネとかいう、ぶどうですか?」 「いいや。昔ながらのぶどうですよ」  運転手さんにも「竹原は学問の町ですねえ!」と話しかけると、「いや あ、それほどでも…」といいながら、延々、故・池田勇人首相の自慢話を 聞かされる。  池田勇人さんについては、私の同級生の政治家のお父さんが、池田派だ ったので、自慢話を聞かされても、悪い印象を持たない。  池田総理は、「貧乏人は、麦を食え!」で有名だった人だけど、「お米 がないなら、麦を食べればいいじゃないか!」という発言が曲解されたそ うだ。  いつの時代も、マスコミは自分勝手に、思い込みで報道してしまうもん だなあ。  余談だけど、昨年「トルシェ監督の采配は納得がいかない!」「解任し ろ!」と言った人たちのVTRをどこかの局で、特集しないかなあ。  別に、トルシェ絶賛論者ではないけど、あのときの罵詈雑言の数々は、 本当にひどかった。マスコミに生きる人間は、もっと言葉に責任を持てと いう意味でも、公開してほしい。  唐島基智三(からしま・きちぞう)という政治評論家も竹原の出身だとい う話も聞かされた。知らないなあ。と思ったら、藤原弘達さんとか、小汀 利得(おばま・りとく)さんの先輩にあたる人だって、それは知らないよ。  藤原弘達さんを知ってる人だって、40歳以上だろう。  午後12時。三原駅。ほんとだ。もう着いてしまった。  電車で30分かかったところを、15分。半分だ。  ますます電車は、ピンチだね。  今後10年間で、日本じゅうのほとんどのローカル線が消えてしまいそ うだなあ。  午後12時13分。三原駅から、こだま626号に乗車。  タクシーが近道してくれたおかで、最高に接続のいい新幹線にすぐ乗る ことができた。 あっ。あまりにも接続がいい新幹線が取れたので、三原 で見て行きたいとことをひとつ忘れた! 三原城だ!  戦国時代の武将・小早川隆景(こばやかわたかかげ)の居城と知られた有 名なお城なんだけど、実は新幹線がこのお城をど真ん中をぶった切るよう に通っているのだ。  せめて、三原駅のホームから、三原城跡を写真に撮ってみた。
 しかし、こんな時間に新幹線に乗れると思わなかった。  ひょっとすると、日が暮れる前に、東京に着いてしまうぞ。    午後1時。岡山駅で、のぞみ16号に乗り換える。  乗り換え時間、わずか5分の間にどうしてもやっておきたいことがある。  もちろん、「桃鉄まつりずし」のチェックだ。  ホームのお弁当売り場に行く。
「売り切れ」の張り紙。 「売れているんですか、これ?」と、無関係者を装う。 「おかげさまで、売れてます!」  まだ一度も食べていないので、悔しいやら、うれしいやら。  午後1時5分。岡山駅から、のぞみ16号に乗車。  車中、VAIOを引っ張り出して、仕事開始。  1時間ぐらいぶっ通しで仕事をすると、充電も50%ぐらいになって、 程よい。  午後4時26分。東京駅に着く。  東京も蒸し暑いね。  午後5時。原宿の自宅にもう着いた!  W杯サッカーの中継に間に合ってしまった。 「ブラジル×イングランド」戦の後半に入って、ブラジルが2点目を取っ たすぐあとだ。 朝、京都で起きた時点で、まさか東京に戻って来て、 「ブラジル×イングランド」戦を生で見ることができると思ってなかった なあ。  竹原から、三原まで走ってくれた、タクシー運転手さんのおかげだ。  午後5時30分。嫁と喫茶店「らぴす」さんで、コーヒー・ブレイク。 ああ、旅行から帰って来た気がするなあ…。  午後7時。カレーの「GHEE(ギー)」で、野菜カレー。   ひさしぶりだな、ここのカレー。  最近、「月光茶房」、「オーベルジーヌ」などの登場で、ちょっと出番 が減った。  でも、やっぱり美味しいなあ。お店がもっと広ければ、行列の出来るお 店になったことだろう。  午後8時。自宅に戻って、W杯を見たり。  疲れていないことはないので、きょうはのんびりすごす。 『桃太郎電鉄11(仮)』の手直し作業が止まったままだ。  札幌のみなさん、しばらくお待ちくだされ!           ☆☆☆特報!☆☆☆  ずっと休止中だった『桃鉄研究所』を再開します!  再開第1弾のテーマは「こんなカードがほしい!」。  カードのアイデアではなくて、カードの名前を考えてほしい。  カード名から、私がアイデアを考えます。  チャンスカード、ポイントカード、スクラッチカードといった、実際に 「カード」の名前が付くものから、一攫千金カード、でかうんちカード、 幽体離脱カードといった絵が浮かびそうなカード名を考えてください!  ただし、カード名は、「カード」を入れて、最大9文字まで。実質6文 字までってことね! 「桃鉄こんなカードがほしい」係まで!  その他、イベントのアイデア、『桃太郎電鉄X(ばってん)』への意見、 今後の『桃太郎電鉄』シリーズへの質問と期待など、受け付けます! 「桃鉄あれやこれや」係まで!  投稿名は、8文字以内。地名を覚えたいので、行橋市・錯乱坊主のよう に、必ず市名を入れてね。軍部…いや、郡部の人は、県名を書いてくださ い。  ひさびさの投稿ページ再開で、ちょっと心が躍る。
 

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