3月14日(木)

 旅行は、旅館が満員だというので、中止。
 名旅館は、不景気知らずですなあ。本当にお客さんのことを考え抜いた
ものに、ブームも景気も関係ないってことだ。考えさせられるなあ。
 というわけで、日帰り小旅行に切り替える。

 午前10時30分。嫁と、明治神宮前駅から千代田線に乗る。

 午前11時。北千住駅で下車。
 前回、千住大橋の取材のときに見つけておもしろいと思った、駅近くの
焼きそば屋さんへ。
 しかし、味が…。お祭りの焼きそばのほうが、よっぽど美味しいレベル。
 レトロ風の店内は、最高によかったんだけどなあ。
 くやしまぎれに、小倉アイスも食べたら、粉っぽい。もはや大失敗。
 食べている間、お客さんがひとりも来なかった。
 こんなに立地のいい場所なのに…というような味だ。無念。

 午前11時30分。北千住駅から、東武伊勢崎線に乗る。
 
 午前11時45分。草加駅で下車。
 あの「草加せんべい」で有名な、草加である。
 となれば、駅前にどで〜ん!と、巨大せんべいのモニュメントが置かれ
て、駅構内には、せんべい屋さんだらけ、町には、醤油のにおいが充満し
ている…と思ったのだが、まったくその気配なし。
 駅前は、巨大なイトーヨーカ堂に、マルイに、VIVREに、銀行。  典型的な地方中都市の様相で、「草加煎餅」と漢字表記するような気配 まるでなし。おかしいなあ。駅前に、おせんサンの像があるはずなんだけ どなあ。  おせんサンというのは、おせんべいの名前のいわれになった人らしい。  その昔、日光街道の草加宿で、旅人相手にみたらし団子を売っていたの が、おせんサン。おせんサンは、毎日出る売れ残りのみたらし団子の処分 に困っていたところ、お侍さんが、「団子を薄く伸ばして、堅焼きとして 売り出せば、日持ちもしていいぞ!」と教えてくれて、言われた通りお店 で売り出したところ、大評判になったそうだ。  プリント・アウトして来た地図を見ながら、バス停のほうに行くと、あ った、あった。おせんサンの像。何だ。「おせんさん」と書いてあるだけ で、エピソードも書かれていない。
 午後12時。日光街道を歩いて行くと、八幡神社というのがあった。  左右一対の獅子頭があるというので、参道を行くが、両脇が住宅という 妙な作りの神社だ。
 おお! でかい! お堂のなかに、巨大な獅子の頭が2体!  それにしても、うなぎの寝床のような細長い神社だなあ。  再び、日光街道を歩く。  日曜市場みたいに、野菜を売っている露店で、買った焼き芋100円が 美味しい。東京の青山通りで買ったら、500円か1000円するような 焼き芋だ。ほくほく、熱くて、しっとりしていて、美味しい。  そうだ。きょうは、おせんべいを取材にしに来たんだっけ。  焼き芋食べてちゃいけないよ。
 午後12時15分。おせん茶屋に着く。  おせんべいの由来になった、おせんサンの名前が付いた公園だ。
 えっ? これだけ? まるで映画のセットの出来そこないみたいだぞ。  住宅街の一角にあって、火事現場のように、柱が剥き出しになっている。  ええっ? これで「手作り郷土賞」を受賞しているの? 「小さなふれあい広場三十選」? 賞の名前がどんどん小規模になって行 くなあ。  別に賞をあげるほどの価値ないよ、これ。  どうせなら、江戸時代の街道の茶店を復元して、お茶とおせんべいを食 べられるにしなきゃ! やる気ないんかい、草加市!  さらに歩くと、ようやく、ぽつり、ぽつり、とせんべい屋さんが現れた。  昔、栄えた場所というのは、電車を通したり、駅を作るスペースが無い ものだから、どうしてもいまの大江戸線の駅のように、繁華街からズレた ところに駅が出来てしまうようだ。  手作りせんべいの実演をしているお店や、おせんべいの手作り体験がで きるお店も出て来た。巨大おせんべいの造形を店先に置くお店も出て来た。
そうそう。こうでなきゃ。草加市近辺には、50軒以上のおせんべい屋さ んがあるそうだ。  これだけお店あるなら、やっぱり、さっきのおせん茶屋を中心に、もっ と川越市の蔵づくりの町みたいな観光化をめざしてほしいなあ。  さらに歩くと、おせん公園に、「草加せんべい発祥の地」の石碑まで出 て来た。
 場所が飛び飛びじゃあ、パワーにならない。
 石碑の先に、綾瀬川。  おお! これはいい。札場(ふだば)河岸公園っていうの? 来週あた り来ると、桜がきれいだろうなあ。気持ちのいい公園だ。
 ええっ!? ここにもおせんべい関係の建物も、茶店もないの?  行政はいったい何やってるの?  おお! 松尾芭蕉の像があった。  こっちをふりむいたデザインがいいねえ。
 ええっ!? この芭蕉像も、民間の人たちの寄付金でやっと建ったの?  どうも草加市にはいい政治家さんがいないみたいだな。  そうなのよ。きょうはおせんべいの取材もあるけど、松尾芭蕉さんの取 材でもあるのよ。草加は、『おくの細道』で、北千住を旅立った松尾芭蕉 さんが最初に泊まった宿場なのだ。 『おくの細道』では、「痩せて、骨ばった私の肩にかかっている荷物に、 何よりも最初に苦労した」と書かれているけど、遠いよ。北千住から、草 加までは。  私は北千住から、準急で草加まで来てしまったけど、ものすごい距離だ ったよ。  駅数にして、北千住、小菅(こすげ)、五反野(ごたんの)、梅島、西 新井、竹ノ塚、谷塚、草加。7駅目だよ。すごい脚力だよなあ、芭蕉&曽 良。  私なんか、草加駅から、この綾瀬川まで来ただけで、もう足がもつれち ゃってるもん。  綾瀬川の川沿いを上って行く。  むむ? 何じゃ、あの天に向って突き抜けるような太鼓橋は!  ぎょぎょぎょのぎょっ! 「矢立橋」とな。  矢立(やたて)といえば、江戸時代の筆記用具のことではないか。ほか にも「旅日記の書き始め」という意味もある。松尾芭蕉さん、最初の宿泊 地にちなんで、この「矢立」という名前を橋に付けたものだろう。
 もはや足がへろへろな私は、橋の下の横断歩道を渡り、嫁がアーチ状の 歩道橋である「矢立橋」を渡る。私がこの橋を嫌ったのは、高所恐怖症の せいもある。  地図には、川沿いに500本以上の美しい松並木とあるが、美しいと感 じるより、すでに足が上がらず、道のちょっとした小石の出っ張りに、つ まづく回数が増えて来た。
 おお! 左に折れれば、松原団地駅。右に折れれば、草加市文化会館だ。  とうとう駅ひとつ分、歩いてしまったぞ。  げげっ! またしても、天空を突くような太鼓橋が!  今度の名前は「百代橋」だ。 「月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして…」で始まる『おく の細道』のイントロの文章に出てくる、「百代(はくたい)」だ。
 さきほどの「矢立橋」といい、この「百代(はくたい)橋」と、かなり 松尾芭蕉好きの人がこの橋の建立を推進しましたな。  午後1時15分。「百代橋」の先にある松尾芭蕉文学碑を見たあと、そ の先にあるであろう「おくの細道文学碑」を断念して、草加市文化会館へ 行く。  1Fに「草加市伝統産業展示室」というのがあるので見に来た。  草加市の伝統産業には、草加せんべい、本染め浴衣、皮革(ひかく)産 業の3つがあるそうだ。  いずれもビデオで、3つの産業の作業工程を見せてくれる。  わかりやすい。ひとつ4分、全部で12分と飽きない尺(しゃく)だ。  草加せんべいも、おせんサンの発案により、草加宿で評判となったけど、 全盛期は大正時代だったそうだ。  東京で大火事があったらしく、そのとき焼き出された人たちが、草加に 移り住んで、せんべいを作り始めたらしい。豊富な地下水脈と、お米の名 産地、近くに日本一の野田醤油が控えていることから、おせんべいを作る のに、まさに適した土地だったというわけだ。  こういう「初めて物語」が私は好きだ。  讃岐うどんも、隣りの県のすだちを使い、瀬戸内のじゃこをつかったス ープで、讃岐うどんを形成している。決して、突拍子もない発想から作っ ていないということだ。おせんべい自体、おせんサンのエピソードによれ ば、みたらし団子の廃品利用だ。  過去、いろんな発明のほとんどは「廃品利用」から生まれている。  昭和初期に財を成した人など、新聞紙を薬品の水槽につけることによっ て、活字と紙を分離させて、再生紙とした。こういう話を私はいつも考え ていて、かつて『ジャンプ放送局』の単行本を思いついた。  投稿ハガキというのは、そのほとんどは、廃棄するしかない。  そのハガキを取っておいて、ボツハガキを単行本に再録すれば、二次利 用であり、お客さんにとっては、二次募集の受験に成功したような喜びを 味わうことができる。一石二鳥だったのである。  いまはもはや取材自体が、お仕事に直結してしまっているが、『桃太郎 電鉄』も、私の旅好きと、物産好きの廃品利用からスタートしている。   「草加市伝統産業展示室」に、昭和56年に実際に作った巨大おせんべい のレプリカが飾ってあった。  直径約2メートル。厚さ10センチ。  つかったお米、180キログラム。  お茶碗のご飯に換算すること、2400杯分。おせんべい枚数に換算す ると、9000枚分!
 こういうイベントを毎年、綾瀬川の桜の季節にでもやればいいのになあ。  午後1時45分。沿い羽化市民会館から、車で10分ほどにある「丸草 一福(まるそういちふく)」さんというおせんべい屋さんまで行く。
 ここに「おせんべい博物館」というのがあるというので、来てみた。  ところが、なんと!  この「おせんべい博物館」。入場無料のあげくに、案内の人まで付いて くれて、博物館を見せてくれたあげくに、現在稼動中の工場まで見せてく れて、挙句に、焼き立てのおせんべいまで食べさせてくれてしまったのだ。  この焼き立てのおせんべいの美味しいこと。  この焼き立てについて、おもしろい話をしてくれた。 「手作りせんべい」と「機械で作ったおせんべい」があったら、誰でも 「手作りせんべいのほうが美味しいと思ってしまうというのだ。  正直言って、私もそう思った。  ところが、本当に最初から最後まで、手作りでおせんべいを作ったら、 それこそ1枚何千円にでもしなければ、採算が合わなくなる。そこで、非 常に薄いおせんべいにして、お醤油も刷毛で2〜3回塗って、終りにしな いといけなくなる。  だから実は、手作りせんべいのほうが、味が悪いというのだ。  この話は、本当で、草加駅から日光街道を歩いて行って、最初に「手焼 きせんべい」を実演していたおせんべい屋さんで、焼き立てを買い求めて、 その場で食べたけど、それほど美味しいと感じなかったのだ。  この「丸草一福(まるそういちふく)」さんでいただいた、焼きたての おせんべいのほうが、お米の香りがして、美味しかったのだ。  そのおせんべいを作る機械のほうが、たしかに何度も何度も醤油を塗っ ては、ゆっくり、ゆっくり焼かれていた。  機械というと、早いイメージがあるけど、本当にゆっくりだ。  ちなみに、かなり私が大好きな「ぬれせんべい」も実は邪道で、おせん べいになる段階の直前に、濃い醤油壺に、おせんべいを突っ込んでしまっ て、お米の味ではなく、お醤油の味で、おせんべいを食べさせてしまうの で、しょっぱい味なのだそうだ。  言われてみれば、濃い味だった。でも私のように歯の悪い人間には、ぬ れせんべいは安心して食べられる食べ物なのだが…。だからこそ、いまの お子さんたちは歯が悪くなっているんだろうけどね。私もいまどきのお子 さんか? 「丸草一福(まるそういちふく)」さんは、草加せんべいの現状を危惧し ていて、このままでは草加せんべいの伝統が消えてしまうと心配していた。  でも私には、これからだと思う。マクドナルド、スターバックス・コー ヒーが全盛期を迎えた後は、おせんべい、みたらし団子、焼き芋、和菓子 といった昔のものが大ブームになる順番なのだ。  いまがたぶん底の状態なのだと思う。  NHKの「朝のテレビ小説」で、この草加せんべいを取上げたら、一発 でブーム再燃だと思う。 「丸草一福(まるそういちふく)」さんは、全国のデパートから販売や 卸しを要請されているけど、頑なに断わって、伝統の味を守って行くつも りだそうだ。通販はしている。せっかくなので、大量におせんべいを買っ て帰る。  ざらめせんばいが、めちゃくちゃ美味しかったよ〜!  午後3時45分。松原団地駅。
 おお! 中目黒まで直通の電車が出ているの? 乗り換えずに行けるの はいいな。乗って行こう。  乗って、すぐさま熟睡。  疲れたよ。綾瀬川沿いを歩いたのは。  午後4時。恵比寿駅で降りる。ここまで1時間15分か。ちょっと遠か ったなあ。鈍行だったしな。  午後4時30分。帰宅。  まだ寝たりないせいか、また仮眠。  午後6時30分。自宅にて、ハドソンの石崎仁英くんが高松土産で買っ て来てくれた「おそるべきさぬきうどん」と「しょうゆ豆」で、食事。  いよいよ高松の「桃太郎電鉄石像」の除幕式が近づいて来た。  なんと! 私、土居ちゃん(土居孝幸)、カズ坊(関口和之)、柴尾英 令くん、井沢どんすけに加えて、池毅(いけたけし)さんもほぼ参加可能。 宮崎帰省予定だった宮路一昭くんも参加決定! 売れっ子放送作家の福本 岳史くんまで、除幕式参加表明!   桃太郎チームのメンバーが全員、一堂に会すのはたぶん初めてである。  こんなチャンスは二度とないと思うので、ぜひぜひ除幕式、来てくださ いな。  食後、『桃太郎電鉄11(仮)』の手直し作業。  きょう1日、思いのほか充実の取材だった。歩きつかれたけど。
 
さくまNEWS

●3月31日(日)午前9時〜。鬼無(きなし)駅ホームにて。
 四国高松「桃太郎電鉄石像」の除幕式

●3月26日(火)午後7時開演。浜離宮朝日ホール(築地)
朝枝信彦ヴァイオリンリサイタル
※業界の方で鑑賞希望の方は、うちの嫁まで、3月18日(月)までに
 ご連絡ください。


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