11月13日(火)

 晴れた!
 やっと、旅で出られる!
 先週から、毎朝、旅に出ようとしては、雨に阻まれていた。うずうず。

 午前10時30分。嫁と、東京駅へ。

 午前11時08分。やまびこ29号。
 先日、21世紀出陣弁当を買う目的があったので、気になったけど買わな
かった駅弁「大人の休日」を買って、東北新幹線へ。
 へ〜。「大人の休日」は、2200円もするの。
 過去、食べた駅弁のなかでは最高値だな。
 からし色の風呂敷を開くと、小さいながら頑丈な木箱が出て来た。
 木箱の裏は、箸置きになっている。

 お品書きが出て来た。
 最近お品書き付きの駅弁が増えて来て、食べるときの楽しさが倍増した。
「大人の休日」は、お品書きにタクワンひとつにまで、産地を明記してい
る。

 千葉県富津産大根使用。茨城県霞ヶ浦産レンコン。福岡県八女産タケノ
コ。群馬県下仁田産こんにゃく。徳島県鳴門産赤ずいきの煮物。小田原産
さつま揚げの田舎煮。北海道美幌産南瓜のアンチョビ焼き。日向鶏味噌漬。
夫婦鮭。ずわい蟹の酢の物。数の子含ませ。笹だんご。
 いよいよ食べる! 駅弁はこの初めて食べる瞬間がわくわくするやね。  まずは数の子ちゃんから、もぐもぐ…。  美味いっ!  さつま揚げ! 美味いっ!  日向鶏味噌漬! 美味いっ!     まあ、2200円も予算があるもんだから、豪華、豪華!  いきなり大きな数の子が一切れ、二切れと、何食わぬ顔で入っている。  ネギ入りの玉子焼きってのは、どうかなあ!と思いながら、口に運ぶと、 甘い! ちゃんと甘い! ネギを玉子に入れると、甘さを押させてしまう ものなのに、しっかり甘い。駅弁の持つ庶民的な最低ラインをしっかり守 っているのが、えらい!  ご飯もじゃこ飯になっていて、とにかく手間のかかったお弁当だ。  駅弁の範疇をはみ出ている。  これだけの美味しさなら、2200円も仕方のないところだろう。  ひさしぶりに、木箱の容器を持って帰った。  味もいいが、何よりデザインがいい。  こういう大人が欲しくなる駅弁というのは、これから狙い目だな。  駅弁のイメージ・キャラクターとして、藤村俊二さんを起用しているの もおもしろい。シルバー産業ってことかな。  新幹線のほうは、宇都宮、郡山、福島と進んで行くうちに、少しずつ晴 れ間が見えて来たけど、基本的には曇り空。
 仙台を過ぎる。  きょうのテーマは、ひとつに仙台以北を日帰り旅行だ。  今年の8月30日。喜多方→米沢日帰り旅行で味をしめた、その第2弾 だ!  前回の経験から新幹線の連結さえよければ、青森日帰り旅行だって、じ ゅうぶん可能なことがわかった。  むしろ、栃木、千葉のように新幹線の無い地域のほうが、近くても日帰 りができなくなる場合が多い。  午後1時45分。古川駅、くりこま高原駅を過ぎ、一ノ関駅で下車。  さすがに、風が寒い。  ここから、東北本線に乗り換える。  午後2時。沼宮内(ぬまくない)行き2両編成の電車だ。 「ワンマンカー電車の乗り方&降り方」という張り紙が、車内に貼ってある。
 ひさしぶりだ。電車のドアをボタンを押して入るのは。  ロングシートのイスに、ほどよく乗客が座れるほどの乗車率。  誰もあわてず、本を読んでいたり、ゲームボーイアドバンスをしている。
 気がついたら、電車は走り出していた。  意外になめらなか走行だ。  ひとつめの山ノ目駅を過ぎたら、もう平泉(ひらいずみ)駅だ。  10分ほどで着いてしまった。一ノ関駅で、新幹線からこの電車に乗り 換えて、電車が走り出すまで待っていた時間のほうが長いじゃないか。  平泉は、何たって過去、日本最大の大都会だったことのある町だ。  一ノ関からタクシーで行ってもよかったけど、かつての都には電車で降 りるのが、敬意ってもんだろう。
 寒い。駅前は土産物屋さんしかない。 「弁慶」「芭蕉」「中尊寺」「義経」「藤原三代」…。この町の持つ知名 度のある名前の看板が並ぶ。  これだけ誰もが知っている名前が並ぶ町は、東北のみならず、全国でも 類を見ない。まあ、いまはそんなすごさのかけらも残っていない。  また平泉は、修学旅行で行く場所なのだが、私は中学校、高校も、修学 旅行は京都だったので、平泉に行くのは、きょうが初めてである。意外で しょ。  ちなみに、私は最後の修学旅行専用列車ひので号に乗っている。  あんな拷問のような列車によくみんな乗ったものだ。  タクシーで「中尊(ちゅうそん)寺まで!」というと、「毛越(もうつ) 寺はいいですか?」といわれる。確か芭蕉の句碑があったような気がする ので、お願いする。平泉駅からまっすぐで、近い。  あれ? 『奥の細道』関係の本ではどれも「毛越(もうつ)寺」と表記 されているのに、パンフレットでは毛越(もうつう)寺」だなあ。毛越寺 発行のパンフレットで間違えるはずがないよなあ。せっかく予習で「毛越 (もうつ)寺」と読めるようになって来たのに、くやしいなあ。  松尾芭蕉の句碑は「夏草や 兵どもが 夢の跡」だ。 『奥の細道』のなかでも三大俳句といわれるうちのひとつだ。  ほかのふたつは「さみだれを 集めて早し 最上川」と「荒海や 佐渡 によこたふ 天の川」と言われている。  3つとも、俳句の素養が無くても、絵や景色が浮かぶところがいいんだ ろうなあ。ときどき、俳句は17文字なのに、訳文が300文字以上にな るものがあれって、何だか反則のような気がする。
 境内に入る。広い!  おお! これは! 人工的ではあるけど、なんと美しい庭園だ。  しかも終ったと思っていた紅葉が、いまを盛りと赤々と燃えているでは ないか! これは得した。  池の水面が、水銀のようにメタリックに光って空を映し込んでいる。
 冷たい風が空気まで凛とさせているので、何やら荘厳な景色だ。  池の向こう側に宝物殿があるが、もちろん行かない。あれれのれ!  はっはっは。きょうは何たって、中尊寺の光堂(金色堂)を見るのが最 大の目的だから、極力体力は温存しておきたい。  北の観光地はどこでも、健脚の人しか相手にしないのか?と思えるほど、 平気で急勾配の山道や、急峻な階段を登らせることが多い。もう騙されな いぞだ。
「中尊寺は、参道入口まででよろしいですか?」とタクシーの運転手さん。 「いや、行けるなら行けるところまで! 金色堂にいちばん近いところへ!」 「ははは。わかりました!」  笑われようと、何だろうと、北の大地の観光を甘く見てはいけない。  遭難してまた日記がおもしろくなるのは、ゴメンだ。  中尊寺に向う道路を少し入ったところに「夢館(ゆめやかた)」という、 いかにもお下劣そうな観光物産館があるので、寄ってもらう。  最近、観光地によくある「ロウ人形館」だ。  昔から、観光地の「ロウ人形館」というのは、展示物の人形が崩れてい たり、色褪せていたり、雑兵の首がもげていたりするのだが、最近の 「ロウ人形館」は、けっこうリアルによくできている。  この「夢館(ゆめやかた)」の人形もよく出来ていた。  おまけに藤原三大の隆盛から滅亡までを、時代を追って、ロウ人形で見 せてくれる。これは助かる。  ただし、この歴史を、松尾芭蕉が解説するという強引さがなんともB級 の匂いがぷんぷん。しかも最初に芭蕉のロウ人形がしゃべったきり、あと はまったく登場しない。中途半端だなあ。
 でもこれだけ濃い?演出をされると、わかりづらい「前九年の役」「後 三年の役」をしっかり覚えられてしまうものだ。  ちなみに、私は藤原三代を「きよ・もと・ひで」と暗記している。  藤原清衡(きよひら)、藤原基衡(もとひら)、藤原秀衡(ひでひら) の順番だ。こういう風にでも覚えないと、藤原、北条は覚えられない。  さらに余談だが、これから行く中尊寺の金色堂には、この藤原三代のミ イラ(遺体)と、泰衡(やすひら)の首が納められているそうだ。  私には源頼朝に脅されて、かくまっていた義経を殺してしまった、泰衡 (やすひら)が子どもの頃から嫌いだったので、藤原三代とおなじ金色堂 に納められているのがどうにも悔しい。  むしろ、泰衡とは双子で、藤原三代の跡を継ぐ資格がありながら、源義 経とともに死んだ、藤原国衡(くにひら)のほうに憐憫を感じる。  お下劣な「夢館」の話題から反れた。  最後は出口を出ると、観光物産の売り場に出るという、この手お得意の 巡回コースになっていた。  観光物産はこっちの専門分野だから、真剣に見るが、取り立てて珍しい ものはない。花巻、盛岡の名産である、わんこそばを特産品のトップにす るのは、ちょっと企業努力が無さ過ぎ。
 まあ、この「夢館」は時間があったら、お勧め程度の評価かな。  私は、みうらじゅんサン的おもしろがり方として、こういう「館」は大 好きだけど、人に勧めづらい。  大人940円というのも、中途半端に高い。  午後3時。中尊寺金色堂。  ついに来た! 嫁は2回目だけど、私は初めて。いかに私が藤原時代に 疎いからの証明みたいなもんだ。  なるほどねえ。奥州藤原は、砂金の採掘が経済的基盤になって、驚くべ き繁栄をしたってわけか。しかし、日本でもほかの国でも、おなじように 「金」が、繁栄の道具になるっていうのがおもしろいねえ。世界共通なん だ。  藤原の場合、この砂金のせいで、この中尊寺金色堂みたいな金箔だらけ のお堂を作ることができたわけか。  この金色堂を、豊臣秀吉が肉眼で見ていたら、4〜5倍の大きさのお堂、 いや黄金の五重塔は建てただろうなあ。金色堂のことは噂では聞いていて も、豊臣秀吉は見ていないはずだからね。でなきゃ、黄金の茶室程度のも のしか作らなかったはずがない。
 そうそう。金色堂に来てみたかったのは、やっぱり松尾芭蕉の名句のせ いだ。 「五月雨の 降りのこしてや 光堂」 <訳文>  五月雨は長く降り続き、すべての物を朽ちさせてしまうが、毎年降り続 けたこの五月雨も、この光堂だけには遠慮して降らなかったであろうかな あ。光堂は昔のままの姿を今に伝えていることである。  私にはずっとこの句が謎だった。  まずこんな金ぴかなお堂なんかが立っていたら、来た人みんなが、金箔 をはがして盗んで行ってしまわなかったのか?ということ。  さらに、雨ざらしになんかしていたら、金箔なんかすぐ剥げてしまうだ ろう。   この句のように、光堂だけ遠慮して降らないなんて言い方は、仰々しく て、あまり好きではない。SFじゃないんだから。  では、相当高位にある人たちだけが、この金色堂を見ることが出来たの ではないか?とも推理したけど、だったら当時の松尾芭蕉はそんなにえら い人だったのか?ということになってしまう。  人気はあっても、位には無縁だっただろう。  その後、この金色堂のあとに見た「旧覆(きゅうおおい)堂」というの があって、こっちのお堂のなかに、金色堂を安置していたのはわかった。  そうだよなあ。シートカバーがなきゃ、自動車だって汚くなっちゃうか らね。これで少しは納得できた。  でもこの「旧覆(きゅうおおい)堂」ができたのは、金色堂建立から 164年後というではないか。ってことは、やっぱり100年以上雨ざら しだったわけ?なんとも不可解。  というわけで、肉眼で金色堂を見たものの、まだまだ疑問を持つこと多 かりけり。「五月雨の 降りのこしてや 光堂」という句も、光堂だけ雨 がよけるという部分のフレーズがどうも陳腐な気がするのだ。ただ芭蕉研 究家の人たちはみな絶賛するので、いまだ不可解。まだまだ私の研究が足 らないのかも。  素人考えでは、何で「五月雨の」と、「の」になるのもかも不思議。 「五月雨を」じゃいけないのかなあ。  ドラマや映画ではこういう疑問も、本物を目の当たりにすると「そうか あ!」と開眼するものなのだが、いまこうして、金色堂の金ぴかを見ても、 旧覆(きゅうおおい)堂を見ても、何もひらめかない。  経験値が足らんか。  その前に、私の残りHPが少なくなって来た。  砂利道、石の大きい道を歩いたせいで、激しく体力を消耗した。  しかし、ここ中尊寺の紅葉も見事だ。  思わず、♪フジカラ〜〜〜と歌ってしまう。  カラーフィルムも、柿右衛門も、みんな赤の色を鮮やかにしたくて、苦 闘するけど、この天然の赤は手強いだろうなあ。赤とか紅という文字では 表しきれない何かがある。
 中尊寺本堂の手前をそれて、駐車場に向かい、タクシーで一ノ関へ向う。  午後4時。一ノ関駅。  これで平泉日帰りの旅は終了である。  このあとは、仙台に寄って、仙台牛の「大胡椒」で美味しいお肉でも食 べて帰ればいうことなしだ。
 ところが、北の新幹線を甘く見た。  次の新幹線まで、1時間半もある。  いくらなんでも、1時間に1本は新幹線走らせてほしいなあ。  午後6時に、仙台に着いてもなあ。仙台駅の最終新幹線は午後9時25 分だ。  ちょっとあわただしい。しかも肉のために、最終電車をチェックするな!  ただこの1時間半後の新幹線は、東京駅には、午後7時30分には着い てしまうという早いやつのようなので、ご飯は一ノ関で食べて行こうとい うことになった。  午前11時の新幹線に乗って、平泉に来て、午後7時30分には、東京 に戻れる。新幹線ぐらい素晴らしい乗り物はない。テロもない。エアポケ ットもない。搭乗手続きもない。バスに乗らなくていい。救命胴衣の説明 を聞かなくていい。  そんなことはどうでもいいか。  何と言われようと、私は新幹線の味方です。  観光案内所で、前沢牛の美味しいお店はないか聞く。  駅からすぐのところに、美味しいお店が一軒あるという。 「あ、ちょっと待って。このパンフレットを持って行くと、コーヒーが無 料になるから!」。  むむっ。こういうサービスがきくお店って、あんまりねえ…。  まあ、店の前まで行って、あまりにもひどそうな佇まいなら、ほかの お店を探そう。何たってここは、前沢牛の前沢が近い。  この狂牛病の時期に、ひたすら牛の味方をしなければ!   「牛肉割烹 自雷也(じらいや)」とある。  悪くはなさそうだ。
 メニューを見る。ええっ? すきやきの並が、1600円。上が、19 00円? 特選前沢牛でも、3000円!?  お肉の場合だけは、値段が安いのはちょっと不安になる。  値段が高いのは困るけど、牛肉の場合、高ければ「よ〜し! じゃあ、 きょうは腰入れて食ったろかいっ!」と気合いが入るし、覚悟しやすい。  値段が安い上に、まずいのは嫌だ! 「磐井牛のふすべもち」というメニューもあった。こういう変わったもの はとにかく食べる。  ゴボウを擂(す)って、牛のひき肉と混ぜて、七味を加えたおろし餅み たいな料理。これはうまい。  一ノ関は、お餅を名産品にしようという動きがあるようだ。  お餅料理が食べられるお店が、何軒もある。  そういえば、毛越寺の茶店のメニューも、お餅だらけだった。
 すきやきが来た。ほう。この間の米沢牛は、タマネギだったけど、ここ はハクサイだ。すきやきにおけるタマネギとハクサイの分布は密かに研究 し続けたいものだ。  おお! 前沢牛だ。  前沢牛は何たって「肉の芸術品」と呼ばれているくらいで、お肉の名誉 賞も4年連続7回も受賞しているからね。 「近江牛がうまい!」「肉は松坂牛じゃなきゃ!」「伊賀牛の甘味を知っ てくれなきゃ!」という人も、前沢牛を食べてから言ってくれなきゃ。木 を見て森を見るになってしまいますぜ!というくらい、前沢牛は美味い!
 その前沢牛が来た。いい色だ! 「前沢牛は、しゃぶしゃぶのように、たぐらせるだけでもう食べていいか らね!」と話し好きのおばちゃんがいう。それは相当な自信だな。  おお! おお! おお!  これは! 美味いよ、美味いよ!  とろ〜り、とろとろ。舌の上で、前沢牛がくすぐったいよ。  卵との相性も抜群にいいよ。  とても3000円のお肉とは思えない! 1万円の価値ありだ。  肉もいいけど、タマネギも美味しい! 「おいしいでしょう! このネギはね。曲げネギといってね、土の中でわ ざと曲げて育てるんですよ!」  ふ〜ん。ここのネギを買って帰るお客さんが多いそうだ。  恐るべきは、ここのお店はご飯も美味しいこと。 「おばちゃん! ご飯も美味しい!」というと「私たちは農家の生まれだ からね、ご飯がまずいのは耐えられないんだね! だからご飯は純粋なコ シヒカリしかつかわないもんねえ!」。  なるほど。どうりで美味いわけだ。  子どもの頃から、コシヒカリ食べてたら、下手なものを人に出せなくな る。なんてお客さんにとっては好都合。  実は豆腐まで美味しかった。
 まるで前頭三枚目の力士が、横綱を浴びせ押しで、金星をあげたような 美味しさだ!  おお! パチンコ漫画家の谷村ひとしクンの色紙だ。谷村くんもこの お店に来たのか。谷村ひとしクンとは、20年前ぐらい、よく漫画の話を した間柄だなあ。 「谷村っていうから、あたしと旦那は歌手の谷村新司かと思ってよ〜、 あはははは!」  楽しいおばちゃんだ!
 一ノ関駅前1分。これはもう一度このお店を訪れることがあるような気 がする。  それほど美味しい。  午後5時29分。やまびこ22号。  前沢牛を食べて、お腹がいっぱいになった私と嫁は、「食べてすぐ寝て、 牛になった頃には、東京駅だ!」と、本を読みながら、熟睡。  あとわずか2時間の旅だ。  …のはずだった。  はずだった…。  だった…。  だった…。  だっ…。    言葉が遠くこだまする…。  午後5時50分。仙台駅。  ふと目が覚めて、薄目を開けると、何やら騒がしい。  なになに…。上野―大宮間で停電? はいはい。早く直してね。どうせ こっちは予定より早く新幹線に乗れたんだから、ちょっとぐらい遅れても 大丈夫ですよ。  私は何があろうとも、新幹線の味方だからね。  午後6時…。 「大宮―田端間に2本の下り列車が止まっていまして、上りの回送列車を 走らせますので、どうたらこうたら…」  ははい、何でもいいから早くしてね。眠いんだ、こっちは。  何で大宮と東京駅で電車が止まると、仙台の電車まで止まらないといけ ないんだ? 並列つなぎじゃなくて、直列つなぎだからか。それは乾電池 のことだろって。そうですたい。ボルタ電池ですたい。意味不明。眠い…。  午後6時20分。ん? ひょっとして、もう30分も新幹線は止まった まま?けっこう長いね。  私は新幹線の事故運がよくて、地震で丸一日閉じ込められたなんていう 列車にも、偶然乗り遅れて助かったり、乗ってしまったら、洪水に巻き込 まれたような場合でも、すぎやまこういち先生からの電話で、乗らなくて すんだなんてことが多い。だから、この30分の停車でも、過去最高のア クシデントだ。  そのくらい新幹線の事故運はいい。  ヒマだから、Iモード・ゲーム『さくま式奥の細道』でもやろう。  こういうとき本当に、さくま式シリーズはヒマつぶしにいい。  おお! きょう行った平泉に止まれたぞ! なんか、ラッキーな気分!  午後7時。おいおい。1時間すぎちゃったよ。これはちょっと一大事だ。  それでも今から動けば、午後9時過ぎには東京駅だ。早い。早い。  これだけの事故なら、東京にいる友人たちも気づくような規模のニュー スだろう。携帯メールを送ってやれ! 「新幹線の停電事故って知ってる? もう1時間も止まったままなのだよ。 だって私はいま新幹線のなか。しかも仙台。笑ってくれ!」  事情のわからない外人さんに、中年のおじさんがたどたどしい英語で停 電を伝えてようと必死になっているのが、微笑ましい。 「オーミヤ・ステーション、ユー・ノー?」 「イエース!」 「ううん。電波ストップ〜! 電波って、何ていうんだ!?」  のどかな光景だ。  食事時だから、ホームに出て、お弁当を買いに行く人も多い。  私もちょいとホームに出てみる。  駅員さんたちが、大相撲の判定をめぐって、土俵上で審議するように、 何人も集まって討議している。
 午後7時30分。ちょっと待て。  アナウンスの声が疲れ始めているぞ。 「お急ぎのところ、まことにもうしわけございませんが、大宮―田端間で、 停電事故が…」。  もうこの言葉は聞き飽きたぞ。  それでも5分置きぐらいに、アナウンスは流れる。 「復旧までしばらく時間がかかると思われます」  この「思われます」って言い方って、けっこうあとでひどいことになる 場合が多いなあ。 「…いつ回復するのか、メドが立っておりません…」。  おいおい! 1時間過ぎて、メドが立たないって、かなりやばくない?  最初はのんびり寝ていたお客さんさんたちもあわてて、電話をかけ始め る。「もしもし。まだ動かないよ…」。  地元のクルーが、何社も来始めた。  勝手に写すな。手を振ってやれ! どうだ、放送できまい!  仙台で私のことを知ってる人が見たら、ぎょっとするだろうなあ!  午後8時。2時間ずっとこの状態だよ。ああ! 腰が痛いどころか、背 中まで痛くなって来た。 「お急ぎのところ、大変ご迷惑様ですが…」  ああ! やばい! アナウンスの謝り方が丁寧になって来た。しかも力 が入っていない声だ。この声の持ち主、相当謝り疲れている。   「旅行をとりやめる方は、仙台駅の改札のほうへ…」。  おいおい! どんどん事態は危険なほうへ突き進んでいるぞ。  そうか。2時間以上の遅れは、払い戻しだったっけ。  どうも、アナウンスしていることを総合すると、大宮―上野間に、3本 の新幹線が止まっていて、まったく動かないので、ほかの新幹線を横付け にして、橋を渡して、乗客を移し変えているというではないか。  そりゃ、時間かかるよ! 避難訓練だって、1時間はかかる。    午後9時。やばい! もうすぐ従来の最終電車の時間じゃないか。 いまここですぐ動いたとしても、東京駅に着くのは、午前0時を過ぎるに 違いない。  まあ、私の家は東京駅からなら、タクシーで15分ほどだから、遅く着 くについてはあまり気にしていない。  それより、きょうこのまま動かないで、新幹線のなかで、朝を迎えるこ とだ。そういう体力は私には無いぞ!  午後9時30分。そろそろ決断が遅れると、大変なことになる時間帯に 突入して来た。  いきなり運転不通が決まった場合、そのあとにホテルを探しても、これ だけの人数がホテルに殺到したら、すぐ満室になってしまう。  いまのうちなら、まだ間に合う!  しかも仙台で常宿の「仙台国際ホテル」は、駅からちょっと離れている から空いているだろう。  用意周到、山之内一豊の妻と呼ばれる、うちの嫁はちゃんと携帯に、仙 台国際ホテルの電話番号を入れている。 「え? 全館満室ですか。はい。わかりました…」  げげっ! すでに満室! そ、それは困る!  きょうの日帰り旅行は、平泉だから、『旅・王・国』(昭文社)は、盛 岡・八幡平のほうを持って来ていて、仙台・山形が載っているほうを持っ て来ていない!  だからホテルの電話番号がわからない。  このまま復旧を待つか。  駅を出て、ホテルの電話番号を探すか。  かなり人生の岐路を決めるときのような真剣さが必要になって来た。  駅側も、あと30分は動きそうもありませんとか言ってくれると、動き やすいんだけどなあ。いま急に動かれても困る。    おとなしかったお客さんたちも次第に、駅員さんたちに罵声を浴びせ始 める。  大変だなあ。駅員さんという商売も。  駅員さんたちだって、情報が入ってこなくて困っているだろうに、そこ をお客さんたちに突っ込まれても、どうにもならないだろうに。  ついに決断する。  とにかく改札を出て、泊まれるホテルを探そう。  うひょ〜〜〜! 改札口の精算所に長蛇の列が!  払い戻しをしてもらったり、明日のキップに振り替えてもらう人たちで、 大行列だ。  酔っ払ったお客さんが、駅員さんにからんでいる。  ほとんど台風のときの駅の喧騒になっている。
 ちょうど、改札口の向こうに、ホテルの看板がたくさん貼ってあるので、 片っ端から電話する。嫁は清算を待つ行列に並んでいる。本来、私が改札 口を出て、看板を見に行ったりしてはいけないのだが、いまは誰も咎めな い。  しかし、嫁とふたりだと、こうやって役割分担を分けて動けるからいい。  もし、きょうひとりで平泉に来ていたら、どういう遭難日記になったの だろうと思うと、ゾッとする。  いや。まだ助かっていない!  どこに電話したかも覚えていないくらい、どのホテルも「あいにく満室 です…」の返事。次第にあせってくる。  選択肢が極端に減って来た。  夜行列車なんて、あったけかなあ。  仙台って、昔は在来線で、4時間以上かかる遠い場所なのだよ。それだ け新幹線はすごいってこと。もはや私もへろへろになって来たけど、それ でも新幹線の味方です。  午後10時。何軒目だろうか。マークスGホテルに電話が繋がって、部 屋が開いてると聞いたときは、きょとんとしてしまった。もはや「そうで すか。すみません」の言葉をいう回路が出来上がっていただけに「デラッ クスツインならご用意できますが…」に対する言葉が浮かばなかった。  いくらでもいい。泊まれる! うれしい!  しっかり二部屋取れた。  どのくらい狼狽していたかというと、仙台駅東口徒歩1分しか覚えてい なくて、ホテルの名前をすぐに失念してしまったくらいだ。  こういうときに携帯電話は便利だ。  履歴が残っているから、ホテルの名前がわからないまでも、ホテルに電 話をかけることができる。場所さえわかれば、ホテル名なんて、いまはど うでもいい…。 「ええと。いまメトロポリタンホテルの向かい側の道路にいるのですが…」 「えっ? メトロポリタンは、西口です。××××ホテルは東口になります」  おっと、××××ホテルの部分が聞きとれなかった。  しかも、反対側に来ているとは思わなかった。  こりゃ困った。素直に謝ろう。 「すみません。そちらの正しい名前を教えてください…」 「マークスGホテルともうします」  あっ。そういえばさっき、このホテルに泊まれると決まったあとに、住 所と名前を手帳にメモったじゃないか。平常心は彼方に飛んで行っている な。  再び、仙台駅に戻って、自由通路で駅の反対側へ。  ああ、あった。あった。  とにかく、寝るところは確保できた。  午後10時30分。チェックイン。  高級ではないが、ひどくはない。駅の真ん前なのもいい。  ホテルの感想を持つ前にもうしたたか疲れた。    風呂に入ってすぐ、グーグーいびきをかいて寝てしまった。  泥のように眠るって、こんな感じ?  日帰り旅行の予定だったから、マイ枕を持って来ていないので、何度も 目が覚めたけど、なんとか寝られた。  まあ、いままで、1000回近く新幹線に乗っているはずの私が、いま まで一度もこういうトラブルに巻き込まれたことがなかったことのほうが 不思議ではある。    長く生きていれば、おもしろい場面と遭遇できるものだ。    それでも私は新幹線の味方だよ。  やれやれ…。
 

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