8月26日(日)

 午前中、『いつ見ても波乱万丈』で、けっこう好きな脚本家・新藤
兼人さんを取り上げていた。いつもならタレントの人が出演するのに、
脚本家とはまたずいぶん地味なキャスティングだなあと思ったら、
『大河の一滴』の脚本を書いていたのだった。
 見事なタイアップだなあ。でもちょっと露骨。

 午後12時。嫁と東京駅へ。
 すっかりヒマになってしまったので、日帰り小旅行に出ることにした。
 きょうは東北新幹線。
 さて、どこへ行くのかな。

 午後12時24分。なすの241号。 
 東京駅のホームで、駅弁を買う。
 嫁は、最近話題のアメリカ弁当の「牛すきやき」。600円。
 有機栽培のアメリカのお米をつかった、値段の安いお弁当だ。
 ちょっと私も食べてみたが、お米がちょっとパサパサしていて、貧
相な味だな。
 日本人のお米に対する愛着の深さはマリアナ海溝よりも深いのだか
ら、甘く見てはいけないぞ!
 でも私の深川めし弁当が、830円なんだから、確かに値段は安い。
 午後1時42分。那須塩原駅。  さすがに東京より、2、3度低い感じ。
 駅を降りて、タクシーのりばに行こうとしたら、駅の敷地内で、野 菜を売っていた。茹でたトウモロコシの試食があったので、食べたら、 これがなんとも甘くて美味しい。 「朝取ったやつを茹でたから、甘くて美味しいよ!」と、にこやかに おじさんが言う。2本残っていたので、買う。 「250円だけど、200円でいいや!」  買うといってるのに、値段安くしてくれるのがいいやね。  午後2時。タクシーで、まず玉藻(たまも)稲荷神社へ。  いきなりタクシーは、がたことと農道のなかに入って行く。 「えっ? 運転手さん、どこ行くんですか?」 「ほかにも道あるんだけど、この道が神社への正しい道なんだな」 「え〜、こんなすごい道を?」  なんたって、バス路線も通っていない場所だ。  すごいのは、着いてからもだった。  もともと玉藻(たまも)稲荷神社というのは、玉藻姫を祭る神社。  玉藻姫というのは、絶世の美女に姿を変えて、悪事を尽くしたと いう九尾のキツネの伝説のことだ。
 なぜこんなところに来たかというと、この玉藻稲荷神社を、あの 松尾芭蕉が訪れたから。  そうなのだ。きょうの小旅行は、iモードゲーム『さくま式奥の 細道』の毎月エッセイの取材で来たのだ。  ここ黒羽(くろばね)町は、松尾芭蕉が江戸を旅立って、 10日目ぐらいに、ここに着き、弟子の俳号・桃雪(とうせつ)を 訪ねた。しかもこの桃雪の家と、弟の俳号・桃翠(とうすい)の家 に、13泊14日も滞在した。  13泊14日は、『おくの細道』の旅のなかでも、最大滞在日数 を誇る。  このエピソードのせいで、『さくま式奥の細道』では、必ずスト ップして、何日間滞在したか、サイコロ2個振るイベントになって いるのだ。  また、この桃雪(とうせつ)、桃翠(とうすい)のふたりの兄弟 の俳号に「桃」の文字が入っているのは、松尾芭蕉が一時、俳号・ 桃青(とうせい)を名乗っていたせいだ。  私は、桃食(とうしょく)とでも名乗ろうかな。  おっと、すっかり玉藻稲荷神社の話を忘れた。  まあ、古ぼけた神社というか、江戸時代あたりから誰も手を入れ ていないんじゃないかと思うほど、雑然とした参道。  鳥居も色が剥げ落ち、赤い部分、ひとつもなし。  もちろん社務所もない。  人の気配すらない。
 お堂に近づくと、台風で倒れたような細く長い木が、何本も横た わっている。  地面には、苔がびっしり。  お堂に向う石段も、深い緑色の苔がびっしり。  思わず滑りそうになる。  一応、お賽銭のひとつもあげて行こうとおもったのだが、なんと お賽銭箱の前の地面に、5匹の白い蝶々が羽を休めていて、近づく のがためらわれる。  なんともひんやり、幻想的な気分になる。
 案の定、お賽銭箱に近づくと、白い蝶々たちは、のんびり飛び立 った。  人間に馴れていないのだろう。  不思議なことに、帰り道、この5匹の白い蝶々がぱたぱたとつい て来るではないか。まるでかつて人間だった誰かがいまは蝶々にな って、「私が誰それですよ! 気づいてください!」と叫びながら ついて来ているようだ。  ちなみに、蝶々の数え方は、1匹、2匹ではなく、1頭、2頭だ そうだ。  どうもいろいろある物の数え方というのは、腑に落ちないものが 多い。  イカは、一杯、二杯、羊羹は、一棹(さお)、二棹。雲は一片、二片。  花は、一輪、二輪。箸は、一膳、二膳。まな板は、一丁、二丁。  鏡は、一面、二面。大砲は、一門、二門。  乗り物にいたっては、台(だい)、両(りょう)、艘(そう)、 隻(せき)、機(き)、基とたくさんの数え方がある。  こんなにたくさんの数え方があるのって、日本だけじゃないの?   また話がそれた。  あまりにも人里離れた場所の玉藻稲荷神社に驚いている。  松尾芭蕉は、ここで「秣(まぐさ)おう 人を枝折(しおり)の  夏野哉(かな)」という句を詠んでいるのだが、『おくの細道』 には収録されていない。  もともと、松尾芭蕉というのは、現代でいうと歌手というか、ア ーティストのような存在で、旅して回るのは、ライブツアーだった りする。だからこの地でも句会を開いて、それが宿賃になったり、 ギャラになったりする。  この辺も、iモード・ゲームのシステムのヒントになっている。  桃雪(とうせつ)、桃翠(とうすい)といった弟子も、地方の イベント屋さんみたいな存在だったのだろう。  また話がそれた。  どうも九尾のキツネに化かされたかな。  先に進もう。  玉藻稲荷神社からほど近い所にあるのが、「黒羽くらしの館」と いう場所。  いわば道の駅みたいなところで、野菜や果物などを売っている。  ここで、不思議な会社名を発見。
 手作りクッキーというお菓子を買ったのだが、袋には「芭蕉だん ご本舗」なる珍妙なる文字が! ほかにも八溝まんじゅう、すあま、 生和菓子の包装紙にも、この「芭蕉だんご本舗」の文字が。しかも 会社名には、有限会社ローマとある。  松尾芭蕉に、ローマ?  まだ九尾のキツネに化かされているような気分だ。  あとでインターネットで調べたが、和菓子製造販売というのが、 1件検索できただけで、ホームページのトップにも戻れない仕組み になっていて、ますます謎は深まるばかりだ。  なんとも奇怪なり。  午後2時30分。ようやくきょうのお目当ての場所「芭蕉の館」 にたどり着く。  でかい。広い。100メートル以上離れた所から、デジカメで撮 ろうとしても、入りきらない。  黒羽町は、松尾芭蕉が『おくの細道』でいちばん長く滞在したと いうことで、「芭蕉の里の町づくり」キャンペーンを開始している。  それだけに、この「芭蕉の館」の大きさに、力が入っているのが わかる。
 …と思ったのは、つかのまであった。  300円の入館料を払って入ると、松尾芭蕉の『おくの細道』の 名句がいくつか大きな写真のパネルになって貼って美しいのだが、 ほとんど展示物が、複製ばかり。ちょっと弱い。  これなら、石ノ森章太郎さんや、矢口高雄さんといった、芭蕉の ことを漫画に描いた人たちの原画を展示したほうが、よっぽど素晴 らしいとおもえるのだが。  いちばん気に入ったのは、与謝蕪村が『おくの細道』について、 絵と文章を書いたもの。決して上手くはない絵だが、みょうに愛嬌 のある絵で、何が書いてあるのか読みたくなった。  でもこれも複製。  で、なんでここまでこの館に幻滅したかというと、ここ黒羽藩は、 江戸時代大関氏が治めていたのだそうだが、この「芭蕉の館」の半 分以上は、この大関氏についての展示物なのだ。  まるで、これでは「堀井雄二記念館」に行ったら、展示物の半分 以上が、私さくまあきらのものだった。しかもその半分も横浜ベイ スターズ優勝のときのグッズだったというようなものだ。妙に具体 的な例題に私の魂胆が垣間見えたかな?  せめて、棟をひとつずらして、「芭蕉の館」の隣りに建築しろよ なあ。  ちょっと田中真紀子外務大臣に応援演説を頼んだ議員みたいだぞ。  まあ、ここが黒羽城の跡地に建てられたものだから、本来は大関 氏だけの展示物で埋めたかったのかもしれないが。  せっかく、デジカメで隠し撮りした、ジオラマがよくできていた だけに、この半分しかない展示物には、ムッとした。  釈然としない気持ちで、「芭蕉の館」を後にする。  けっこう暑くて、衣服も汗で張り付き始めているので、芭蕉ロー ドなる遊歩道を歩く気力少なし。 「このあとは、くろばね物産館へ行ってください!」と運転手さん にいう。 「えっ? どこですか?」 「この芭蕉の館の先にあるはずなんですけど?」 「ああ! 売店!」  売店ですか。とほほ。  午後3時。くろばね物産館へ。たしかにただの売店だ。
 でも梨が美味しそうなので、買う。  あとで食べたが、甘かった、美味しかった。  500円はいいのだが、5個もある。芭蕉の館で、本も買ったの で、だんだん荷物が重くなって行く。手足が不自由なのをいいこと に、全部、嫁にもらせているひどい男なのだが。  黒羽町のビデオも売っていたので、買う。  最近、地方の町のビデオをけっこう集めている。  お祭りのビデオなど、なかなか行けないので、けっこう貴重。  午後3時30分。芭蕉の館からは、10キロメートル以上離れた ところにある、雲巌(うんがん)寺へ。  清閑幽寂(せいかんゆうじゃく)という言葉がまさにふさわしい、 気品に満ちたお寺だ。  この雲巌(うんがん)寺は、橋の欄干から観る景色が美しい。  一瞬、山形県立石(りっしゃく)寺の長い長い長い長すぎる石段 を想像して、ぎょっとしたのだが、ひとつ、ふたつと数えていって も、38段しかない石段であった。
 しかし、川の流れの音と、夏の終わりを告げるような蝉の鳴き声 のハーモニーは、美しい。天然の楽器だなあ。
 重厚な山門をくぐる。  なんだかとっても頭のいいお坊さんがいるんだろうなあと思わせ るような境内だ。庭の手入れもよく、よく掃き清められている。  百日紅(さるすべり)の木が多く、コスモスが美しい。  山門の手前の川の透明度は、まるで井戸水のようだ。  秋には、紅葉で観光客がいっぱいになるそうだ。
 このお寺で、松尾芭蕉は 「木啄(きつつき)も 庵(いほ)はやぶらず 夏木立」 と詠んでいる。  iモード・ゲーム『さくま式奥の細道』では、松尾芭蕉と門弟・ 曽良が詠んだ句をすべて取得できるようにしているのだが、私も さすがに句を詠んだすべての場所に行っているわけではない。だか らこうして、詠んだ場所に来ると、よりいっそう、松尾芭蕉の句が、 わが身に肉付けされて行くような気持ちになれて、うれしい。 「夏木立(なつこだち)」という言葉をつかいたくなるほど、朝か らずっと木ばかり見ている。  雲巌寺を後にして、県道34号線から、国道294号線を車は走る。  といっても、私もどこを通って、どこに向って走っているのか、 よくわからない。黒羽町は新幹線のなかで、しっかり予習して来た のだが、欲張ってこれから行こうとしている白河は、まったく予習 していなかった。  本当は、松尾芭蕉が、黒羽の次に向った、殺生石(せっしょうせき) に行こうと思ったのだが、まったく正反対の道だというので、思わ ず衝動的に、白河をめざしたくなった。  実は、殺生石(せっしょうせき)のある場所は、小学校の林間学 校で一度行ったことがあり、硫黄臭いという印象しか残っていない。 あまりいいイメージではないのも確か。ただ子どもの頃の印象と、 大人になってからの印象は違うから、そのうち訪れてみようとおもう。  どうも新幹線の那須塩原駅を降りてから、何度も「那須与一の かくれ村」の看板を何度も見かける。  那須与一(なすのよいち)といえば、源平の合戦のとき、四国屋 島(やしま)の合戦で、扇の的を弓で射てみよ!でおなじみの那須 与一だ。  でも、那須与一と、その地方の豪族ならではの「那須」という苗 字がついているのだから、立派な門閥の出で、那須与一がこのあた りにわざわざかくれて住んだようには思えない。 「運転手さん、あの那須与一のかくれ村というのは、どんな場所な んですか?」 「食堂ですよ」 「へ? 食堂?」 「ええ。そば屋が一軒あるだけですよ!」  う〜ん。ちょっと詐欺ですな。  でもこういう捻じ曲がった商魂は、けっこう好きだったりする。  午後4時。最近増えて来た「道の駅」の看板があったので、寄って もらう。  伊王野(いおうの)という地名だ。  さすがに、どんな地名でも変換できるATOKでも、変換できない。  私もこの地名を聞くのは初めてだ。  オープンして、まだ1年目ぐらいだそうだ。  もともと私は鉄道の駅以外の地名はそんなにくわしくない。
 伊王野(いおうの)祭りについての展示物もあるのだが、メイン は、そば打ち工房と、野菜の直売所。  この野菜の直売所が素晴らしい。  ひとつひとつの籠(かご)に、穴沢キンさん、薄井ツヤ子さん、 佐藤照子さん、吉成元文さんといった、生産者の人の名前がついて いる。  みるからに美味しそうな野菜ばかりだ。  こういう風に、生産者がクリエイターのように、名前を売るのは いいことだと思う。お米にしたって、魚沼郡のコシヒカリといった って、いいかげんに作ってる業者だっているに違いない。もちろん 必死に品種改良や、味がアップするように努力している人だってい るだろう。  それが一緒くたにされて、魚沼産の米にされてしまうのは、作家 として、非常に心苦しい。  いつか『日本の米名人100人』という本が出版されるぐらいに までなってほしいものだ。  那須塩原駅で食べたトウモロコシの印象があまりにも強かったの で、トウモロコシを買う。2本で150円のトウモロコシだ。もう 少し小ぶりで、ちょっと傷が入っているトウモロコシだと、5本 200円というデフレ・スパイラルな値段のものがあった。  なんでも「未来」という名の新種らしいので、楽しみ。 『日本のトウモロコシ名人100人』という本も出てほしいな。  私はトウモロコシが、何よりも大好き。  ついでに、とてつもなく大きなサツマイモも買う。  なんだか松尾芭蕉の旅というより、野菜と果物の買い付けに来た だけのような旅になって来た気がする。  午後4時30分。白河の関の跡に着く。  松尾芭蕉の『おくの細道』では、きょう行った黒羽町が、江戸を 立ってから、第二の出発点なら、白河の関は、東北への入口。いよ いよ本格的な『細道』に入る所だったようで、「旅心(たびごころ) 定まりぬ」と書いている。
 ただし、この白河の関というのは、5世紀の頃に設けられたもの で、鎌倉時代にはすでに廃れ、江戸時代の領主・松平定信さんが 1800年に、この地を白河の関の跡地と認定したようだ。  松平定信というのは、江戸時代「寛政の改革」を断行した老中と して、歴史の教科書に登場するあの人のことだ。  そろそろへばって来ているので、ちょっとした丘のような、白河 の関跡を登りたくはないのだが、今度いつ来るかわからないので、 しぶしぶ行ってみることに。 森の中は涼しくて、ひんやりとしているが、苔むす石段を登って行 くと、涼しいはずなのに、汗が吹き出る。  しかし、きょうはどこに行っても、石段はどこも苔むしているなあ。  さすがに立派なお寺だった、雲巌寺は苔ひとつなかったが、あと はどこも苔だらけの感が強い。
 いきなり、「矢立の松」の立て札があった。  源義経が、平家追討のため、平泉を発し、この社前に戦勝を祈願 して、この松に矢を射立てたと伝えられると書いてあった。  で、その松はどこよ?  松がないではないか?  おろ? 地面に刺さるように、小さな文字で、この松が無いよう なことが書いてあるではないか。ちゃんと立て札のなかにも書いて おけよな!   松だけに、お粗末!  しかし、こんなことを思ったせいかどうか。  帰り道で、苔むす石段を下から登ってくる人を避けたとたん、石 段の苔むす石段の縁石を踏んですべり、もんどりうってひっくり返 り、臀部を強打する! ずずずずずっ!と坂道を転げ落ちそうなと ころを、しぶとく踏ん張るも、右腕は泥だらけ、右ひざを擦りむい てしまった。  危ない。危ない。まだまだ手足が不自由なのだから、気をつけな いと。  かなり回復したというものの、さきほどのように、人が近づいて 来ると、身体のほうが勝手に恐怖感を覚えて、筋肉が縮むことが多い。   「いてててててっ!」  そういえば、これだけ外でひっくり返ったのは、脳内出血で倒れて からは、初めてだ。ということは、かなり身体が回復した証拠でもある。  自動車の免許を取ってすぐというのは、事故を起こさないものだが、 運転に馴れてくると、ガードレールをこすたっりするものだ。  あれとおなじで、最近かなり歩行で、つらい思いをすることが少な くなって来ていたので、慢心していたな。  午後5時。JR白河駅へ。  ここで運転手さんとはお別れ。朴訥で地味だったけど、とても親切 でいい人だった。
 駅構内に入って、拍子抜け。  何もない。  もうちょっと大きいのかと思った。  本当はこの白河で、夜ご飯を食べて行こうと思ったのだが、どうも 白河はラーメン以外、名物料理が無いようだ。あとは桃とぶどうだそ うだ。  ここまで来て、夜ご飯がラーメンというのはなあ。    ちょっと疲れが出てきているし、新白河駅に停車する新幹線の本数 も少なく、いまの時間を逃すと、午後7時以降にならないと、新幹線 に乗れなくなりそうなので、新白河駅に行く。
 午後5時30分。新白河駅。  一応、駅の売店で、ラーメン饅頭なる、珍奇なお土産品を買う。     午後5時47分。なすの260号。  車中、さっそく、ラーメン饅頭を食す。  ひとつひとつがやけに小さい。  ふつうの饅頭の3分の1くらいの大きさだ。 「ん? むご? ふにょ?」。  想像していた味とまったく違う。
 箱には、醤油スープあんと書いてあるのだが、味はどうにも、みそ 風味である。  最初から、みそ饅頭といわれて、食べれば、それなりに、「まあま あの味かな」というごまかしのお世辞のひとつもいえる。 でもラーメン饅頭という、ウケを狙ったネーミングを冠するなら、も う少しセンスを磨いたものを商品化してほしいものだ。  饅頭のなかに、シナチクが入っているのが、売りのようだが、この シナチクがまた味を下げている。見事によけいな味。   食べなかった白河のラーメンも美味しくないのでは?と思ってしま うので、お土産品は慎重に作ってほしい。  午後7時24分。東京駅着。  午後8時30分。自宅近くの焼肉屋さん「第一神宮」まで戻り、冷 麺を食べて、そのまま自宅へ。  テレビ神奈川をつければ、横浜ベイスターズは6連敗目!  どうも私の調子の悪いときだけ、横浜ベイスターズはシンクロして しまうようだなあ。9連勝もあっという間に吐き出しちゃってる。  きょうの日帰り小旅行は、なんともどれもこれも中途半端な1日だ った。その象徴が、最後のラーメン饅頭であった。  おもしろそうだけど、ひどい目にも会わず、かといってわくわくす るような新発見もなかったなあ。
 

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