7月30日(月)

 きょうが今回の四国半周旅行の天王山!
 いつも通り、日記が長くなるので、御用とお急ぎのない方のみ、お読
みください! 

 午前7時30分。TVで参議院議員選挙の結果を見ながら、道後温泉
大和屋別荘で朝食。
 ぎょうぎょうしくなく、質素でもなく、お豆腐とシャケがメインのや さしい朝食。真っ当な日本旅館の朝食として、高得点を上げたい。  この大和屋別荘は、松山の名旅館として、ブックマーク。  午前9時。大和屋別荘から、道後温泉お土産品街のアーケードを通り 抜ける。さすが古くからの温泉地。お土産物屋さんは、朝早くから営業 している。最近元気のない観光地が多いだけに、この活気は喜ばしい。  でも、真夏に「道後温泉本館」は、外から眺めてもいいけど、入浴し てはいけない!  伊予鉄道後温泉駅から、路面電車で、松山駅へ。  ガタゴト、ガタゴト、どですかでん…! 
 午前9時40分。松山駅のみどりの窓口で、特急券を買う。  窓口のところが、炭色のような木枠の窓になっていて、窓ガラスの部 分が、明治時代の窓ガラスのように、わざわざ気泡が入っているレトロ 調のものに細工してあった。  これが、最近松山駅をリニューアルした部分なのか。
 窓ガラスを見ながら「へ〜、レトロ調でいいなあ!」というと、駅員 さんが「ありがとうございます! お金がないもんで、板を張っただけ なんです」と謙虚。 「いえいえ、じゅうぶん楽しいですよ!」 「ありがとうございます!」  料亭でも、ホテルでも、いいお店は、ホメると、まず先に「ありがと うございます!」と素直に答える。下品なお店や人間ほど、こっちが無 理やりホメたときに「え〜〜〜、そ〜ですか〜〜〜! いや〜〜〜!」 と歯切れの悪い、それでいてうれしさに、にやけきった顔をこっちに見 せてしまうものだ。  この松山駅の駅員さんは清々しかった。  言われてみれば、駅のお土産品売り場も、古い炭色のような木枠が張 ってあった。もう少しレトロ調の明治時代のビールのポスターでも貼れ ば、風情のある駅になることだろう。費用も安くてすむ。  電車の時間まで、最近やたらと駅のお店として進出してきている 「ステラおばさんのクッキー」で、コーヒーを飲んで待つ。  コーヒーに、クッキーが2枚ついてくるというのがいい。  デブは、クッキー1枚では、食べた気がしない。  午前10時11分。松山駅から、宇和海(うわかい)5号に乗る。  8両編成のスティール・ボディの若々しい車体だ。  あれ? でもパンタグラフがない。  む? 車輌の屋根にある目立たない排気口は? 煙突か!?  はっはっは。何だ、こんなきれいな車体のくせして、ディーゼルカー だったのか。見事に化けたもんだなあ。整形美人のようだ。  ってことは、昨日の岡山から松山までの「しおかぜ7号」も、デーゼ ルだったのか。はっはっは。だまされたな。  宇和海5号は、ディーゼルカーであることをバレまいとするかのよう に、透明な緑色の水田の真中を猛スピードで疾走する。やけに早い。ま るでへばっているのに、意地のために走り続けるスポーツ少年のようだ。  午前10時33分。わずか20分ほどで、内子(うちこ)駅に着く。  内子(うちこ)といえば、内子ローソク、芝居小屋内子座、歴史的景 観など、四国でも珍しいほど、見どころの多い町だ。
 ところが、駅に降りると、売店ひとつない。  そのままタクシー乗り場だ。  あまりにもあっけない。  ちょっと先が思いやられる。  おまけに、きょうも暑い。  午前11時。まず内子町の外れの八日市(ようかいち)護国の町並み までタクシーで行ってもらう。ここから800メートルに渡る、歴史的 景観保存地域を巡るのだが、この暑さのなか、VAIOが入った重いカ ートをガラガラ転がして散策するのは、あきらかに無謀な気がする。  駅にコインロッカーが…あったとは思えない。行くしかない。  昨日よりも空の青が広い。  入道雲も出始めている。  鏝(こて)絵といって、白い漆喰(しっくい)の壁に、左官屋さんが 描く絵が展示されている家があった。一軒家を使った博物館なのに、博 物館とも、展示室とも言っていない。なんとも無造作で自然体な町だ。
 その鏝絵の展示されている隣りの木造の家は、なんと床屋さん。  休業だった。  あとでじわじわわかったのだが、きょうは月曜日。  どのお店も定休日だったのだ。  最近の観光地は、水曜日休みが増えていたので、うかつだった。いま でも官庁が作った博物館などは、月曜定休がほとんどなのだが、こうい う歴史的景観の町は無休のことが多い。やはりまだ四国は観光の点で遅 れている。  しかし、内子(うちこ)といえば、ローソクというくらい、ローソク の町として有名なのに、お土産屋さんには、ローソクが売られていない。  八百屋さんで、桃を買ってその場で食べながら、店のおじさんに聞く と、内子のローソクが全盛期だったのは、明治時代までで、大正時代、 昭和の第二次世界大戦の頃には、すっかり廃れてしまって、いまは一軒 しか残っていないというではないか!  それは『桃太郎電鉄』の作者としては困る。  出雲駅の「出雲そば屋」、「出雲そば屋」、「出雲そば屋」、「出雲 そば屋」、「出雲そば屋」、「出雲そば屋」、「出雲そば屋」、「出雲 そば屋」の連続のように、「ローソク屋」、「ローソク屋」、「ローソ ク屋」、「ローソク工房」、「ローソク工房」の町にしようとおもって いただけに、当てが外れた。  しかもその一軒しかない、ローソク屋さんは、きょうが月曜日だから、 定休日だというではないか! そげなベイビー!  何のためにこんな暑い夏に、内子まで来たんだよ〜!
 まあ、ローソク屋さんがほとんど廃れたんだから、ローソク屋さんを 見ることができないことを悔やむこともないか。  一転して、内子(うちこ)駅は、『桃太郎電鉄ローカル版』では、 ☆印カード売り場に格下げになりそうだ! えっ? 『桃太郎電鉄ロー カル版』って何だって?  おおよそ、勘づいているくせに〜!  開き直って、この町の美しい景観を楽しもう。  内子町の町長さんが、この町の整備に相当力を入れているようだ。  まず、この町並みから、電信柱を外したそうだ。  電信柱ほど、観光地で写真を撮ろうとするときに、ジャマなものはない。  おかげで、低い町並みに、白い壁が目立つ。  蔵のある大きな屋敷もいいけど、簡素な町家も風情がある。
 川の上を無数のトンボが飛ぶ。  私たちの脇を、千円札を剥き出しでひらひらさせながら、雑貨屋さん に入って行く小学生の男の子が通り過ぎた。お母さんにおつかいを頼ま れたのだろう。こういう少年の姿も古い町並みには必要だ。  しばらくして、「上芳我(かみはが)邸」という、ローソクで財を成 した豪商の家にたどり着いた。ローソク屋さんが定休日なだけに、せめ てローソクができるまでの行程のひとつでも覚えて帰るかと思ったら、 この屋敷の広さはいったい何なんだ!  たとえようにも、誰もが知ってるような建物とか、公園が浮かばない。
 家の人に聞いたら、1300坪というではないか!  何だ、その広さは!  えっ? この蔵屋敷は、明治時代、内子ではナンバー2の商家だった の?  どおりで、いまも「内子といえば、ローソク」と知りもしないのに、 脳裏にこびりついていたわけだ。内子のローソク業者は、桁外れの金持 ちだったんだなあ。  都会の小学校の何倍もの広さの庭に、ローソクができるまでの行程が そのまんま展示されていたり、木蝋(もくろう)資料館というシャレた 博物館風の建物では、子どもたちがローソクを作る体験学習ができるよ うだ。
 あぢぢ…。あぢぢ…。暑い。とにかく暑い。顔がじりじり日に焼けて いる最中なのが、よくわかる暑さだ。  でもこの豪商の家の庭は広くて、大きな木が植わっているので、とき おり涼しい風が吹いてくるのが、うれしい。もっと吹いてくれ。  しかし、ローソクができるまでっていうのは、信じられないような大 規模で、面倒で、手間ひまのかかるような行程だったんだねえ。  ハゼノキから、ぶどうのような実を潰して、家の玄関のような大きさ の木製の絞り機械でもって、蝋(ろう)を潰して、したたらせ、やっと バケツいっぱいの蝋の原料を作って行く。まるで理科の教科書に載って いた、プランクトンが石油になるまでの行程を、人力で、無理やり作っ ているみたいな苦労だ。  大人が、ふんどし一丁で、5人がかりで、ハゼノキから、わずかバケ ツいっぱいの蝋を搾り出す様は、きょうが暑い日なだけに、よけい頭が 下がる。  豪商になるには、ひと手間も、ふた手間もかけた、ほかの人に真似が できないような苦労をしないかぎり、無理だということを痛感する。  さて、なおも歩くのだが、すでにもう私のTシャツは、プールに飛び 込んだように、肌にはりつくようにびしょびしょになっていたらしい。  あとで嫁に言われて、初めて気がついたのだが、いまは暑さに、意識 が朦朧としていて、自分がどういう状態なのかまったく気がついていな かった。
 おかげで、『桃太郎電鉄』の物件にふさわしそうな、ジャンボいなり を売っているお店を取材するの忘れた。  ふつうのおいなりさんの3倍といわれると、調べたかったあ!  大正時代末期から不動の名物というキャッチフレーズを思い出すたび に悔しい。  どうも嫁がしきりに、食事をしようと言っているようだ。  嫁の声が小さく聞こえる。  でもまったく食欲がないのだ。  はっ!   私が食欲がない…?  それは私の身体が異常事態に陥っているということではないか!  そうか、嫁はびしょびしょの汗だらだらの私を見かねて、ドクター・ ストップをかけようとしているのだな。そうに違いない。  茶店風の「あたらし屋」に入る。  嫁がTシャツを着替えたほうがいいという。  旅先で何着もTシャツを持って来ていないから断わろうとすると、 「あとで買えばいいから。着替えたほうがいい!」と何度も勧める。  何度も勧めるということは、私のびしょ濡れ状態が尋常ではないという ことだろう。人のいうことは聞くものだ。  トイレで、Tシャツを着替える。  …が、脱げない! Tシャツが脱げない! 身体にぴったり張り付いて、 脱ぐことすらできなくなっているではないか! すごいことになっている のだな。  ようやくTシャツに着替え、アイスクリームを食べると、あら不思議。 なんとも身体が清々しいではないか!  ほう。Tシャツ1枚で、こんなにも世界が変わるのか。  勉強になりますの〜!  午後12時。再び、古い町並みを歩く。  ときおり、味噌の匂いと、醤油の匂いがどこからか漂ってくるのがいい。  Tシャツを着替えたおかげで、かなり軽快に歩けるようになっている。  暑いことは、暑いのだが、なんとかぎりぎり耐えられる。  しばらくすると「酢卵(すたまご)」という看板が目につく。 「酢卵(すたまご)」とはまた『桃太郎電鉄』の物件にふさわしいような 珍奇な名前だなあ。でも見るからに、酢と卵とは、拷問のような薬っぽい、 養命酒みたいな飲み物なのだろう。  そのまま素通りしようとすると、嫁が「飲まないの?」と言い出す。  ただでさえ、この暑さでへばっているんだから、酸っぱいもの飲んで、 口がすぼまったまま、元にもどらなくなるような苦しみを味わう必要など ないではないか。 「だったら、私が飲む!」と、嫁は果敢にも「酢卵」を売っているお店に 入って行くではないか。そこまでされちゃ、私も行くしかないじゃないの!  お店の効能書きに「血圧が下がる。コレステロールが減る。中性脂肪が 減る」といった私のために書かれたような文字が並んでいるではないか。 仕方ない。飲むしかないか! 「うげっ!」となるような飲み物なんだろ うなあ。
 嫁が試飲の酢卵を飲んで「おいしい!」といっている。  まさか! そんな馬鹿な! 私も飲む。 「あれ? ポンジュースみたいだぞ!」  酢の強さがまったくない。  それどころか、ジュースとして抜群においしいではないか!    酢と、卵に、柚子(ゆず)と、アセロラを加えたので、ジュースのよう な美味しさになったそうだ。  酢卵を売ってるおばちゃんは、脳梗塞になったときに、この酢卵を飲ん で、血圧が下がって、回復が早かったという。待ってました。この手の病 気自慢には自信があるぞ! 脳内出血で倒れたときの話をしてあげると、 お年よりは必ず「あら、まあ!」と、目を丸くして驚いてくれる。  かつて映画や講談で有名になった伊賀上野の荒木又植右衛門の仇討ち 三十六人斬りが実は、4〜5人しか斬っていないように、私の脳内出血話 も人に話すたびに、オーバーになって来ている。  酢卵の話だった。  あまりにも美味しいので、東京に宅配することにした。  おばちゃんに「酢卵って名前は悪いよ! カタカナの名前にしたほうが もっと売れるよ!」と言い残して、さらに内子町の古い商店街に入る。 「土居染物店」という、どこかで聞いたような名前のお店があった。土居 ちゃんだもの、休みだろう。案の定、定休日だ。土居ちゃん、もっと働けっ!
「商いと暮らしの博物館」は、人形がグロテスクなのと、靴を脱いで入ら ないといけないので、パス! 残りHPが少なくなって来た。  いよいよ、芝居小屋「内子座」へ。  大正5年に建てられた芝居小屋を、町が保存しつつ、芝居を見せ続けよ うと一石二鳥の保存方法。芝居がないときは、こうしてお金を払えば、見 学もできる。ふだん見ることができない「奈落(ならく)」などを見るこ とができるのは、けっこう魅力的。
 午後12時30分。内子駅から乗ったタクシーの運転手さんを呼んで、 内子座から、一挙に、伊予大洲(いよおおず)に向う。  こっちの町も、歴史のある古い町だ。  ただきょうはこれから、まだ2ヶ所回って、宇和島まで行こうと思っ ているので、いよいよズル旅行の開始! 電車だけで旅行したいのだが、 電車だけだと数多く見て回ることができない。  20分ほどで、伊予大洲(いよおおず)に入る。  昔NHKで『おはなはん』という連続テレビ小説をやっていたんだけ ど、そのロケ地だったのが、この伊予大洲。 「おはなはん通り」という100メートルほどの土蔵が並ぶ道があると いうので、そこへ行く。 『東京ラブストーリー』のロケ地としてもつかわれたことがあるらしい。
 でも剥げ落ちた壁や、荒廃した白壁ばかりで、とてもきれいな場所で はない。  ただ私が『おはなはん』の主演女優だった樫山文枝(かしやまふみえ) さんの大ファンだったというのがここまで来た理由である。人間過去の 趣味に対しては、どこまでも貪欲である。  うちの嫁の顔を知っている人なら、もう気づいていると思うが、色白 な樫山文枝(かしやまふみえ)さんを色黒にすると、うちの嫁にアニメ ーションする。ねっ!  伊予大洲でもう一ヶ所だけ行く。  大洲城だ。  司馬遼太郎さんの『街道をゆく16/南伊予、南土佐の道』で、「童 話の中のお城のようだ」と書かれた、小さな小さなお城だ。  この城は、築城名人と呼ばれた、藤堂高虎が作った城。  藤堂高虎という人は、伊賀上野のお城も作ったし、宇和島城、今治 (いまばり)城を築き、さらに大坂城、伏見城、江戸城の改修工事もプ ロデュースした男だ。私は年々、この男に対する興味が日増しに濃くな っている。
 このかわいらしい大洲城も、大きな肘(ひじ)川をお堀のように利用 して、天然の要害とする機略を思いつくところが、いかにも藤堂高虎ら しい。  いまも、大洲のお城の壁が、肘川が氾濫しそうになったときには、堤 防状に水門として閉じることができる仕掛けになっていて、驚かされる。  アイデアの達人として、藤堂高虎はもっと評価されるべきである。  午後1時30分。伊予大洲駅へ。  ここは駅に売店やら、お店が並んでいて、内子(うちこ)とは比べも のにならないくらい大きい。私はここに来るまで、内子のほうが大きい とおもっていた。  たしかに地名の区分でいえば、内子町に、大洲市である。はるかにこ の大洲市のほうが大きかったのだ。お城があるくらいだしね。
 ここらで、恒例の『桃太郎電鉄』物件シミュレーション。  まずは、内子町。 <内子駅>  酢卵ジュース屋・・・・・・・・・1000万円………50%・・食品  ローソク最中屋・・・・・・・・・1000万円………50%・・食品  大洲和紙工房・・・・・・・・・・3000万円………20%・・商業  五十崎凧工房・・・・・・・・・・3000万円………20%・・商業  ローソク工房・・・・・・・・・・3000万円………20%・・商業  五十崎(いかざき)凧工房というのは、凧合戦で有名なところが、内 子に隣接されてある。いわゆるケンカ凧だ。  大洲和紙工房も、本来なら、大洲駅で物件名にしてあげたいところだ けど、大洲は☆印カード売り場にしたほうが、ゲームの戦略的にはいい 場所になりそうなので、内子周辺を、内子町に集約する。  マップ的に、実は松山から、伊予大洲までは、線路が二股に分かれて、 大洲の手前で合流する。こういう路線は『桃太郎電鉄』では絶対貴重な 場所なので、早くこの地を訪れたいと思っていたのだ。  現在、鈍行は左周り、特急は右回りで、松山から伊予大洲に向かい、 内子は右回りの重要な駅だ。  さて、伊予大洲の要所をざっと見て、伊予大洲の名物「志ぐれ」とい う、ういろうを食べて、さらに私と嫁は伊予大洲から電車に乗る。 「志ぐれ」は、けっこう美味しかった。  伊予大洲は、やっぱり物件駅にすべきだったかな。  駅にするかどうかは、ゲームの戦略性次第。  午後1時58分。宇和海11号。  おなじ宇和海でも、朝乗ったのは、8輌編成で、この宇和海11号は、 4輌編成に減っていた。日中になればなるほど、乗客も減るのだろう。  さて、伊予大洲から電車に乗るからには、いよいよ宇和島をめざすの だろうが、『桃太郎電鉄』の作者は、さらに途中下車する。  15年程前に下りた八幡浜(やわたはま)駅を行き過ごし、卯之町 (うのまち)駅で降りる。  午後2時26分。卯之町(うのまち)駅。  ここでも駅前でいきなりタクシーに乗り込む。時間を有効につかいた い! 時は金なりだ。
 この町でどこに行きたいかというと、あっ! 「山田屋まんじゅう」 の看板が! ちょっと待っててね! えっ? 全国的に美味しいひと粒 まんじゅうの山田屋って、この卯之町が発祥の地なの? 地元のタクシー の運転手さんが自慢する。
 どこで買っても品物はいっしょだろうけど、好きな食べ物の本店と聞 くと、何であれ、行って、犬が電信柱におしっこをするように、品物の ひとつも買って帰りたくなる。一粒サイズの山田屋まんじゅうを、ばら 売りの品、わずか4個だけ買って、タクシーに戻る。  この卯之町(うのまち)で行ってみたかった場所は「高野長英隠れ家」。  江戸時代、有名な洋学者・高野長英が蛮社の獄で投獄されて、死刑判 決を宣告されたあと、江戸の大火事に乗じて、脱獄した。  もちろんお尋ね者となって、幕府の追っ手が、高野長英を探しまくる。  その後、流れ、流れて、高野長英はこの地に来て、隠れ家を持ったの である。
 この地には、おなじく洋学者の二宮敬作(にのみやけいさく)という 人がいた。  どんどんディープな歴史の話になることをご容赦願いたい。
 この二宮敬作という人が、この地で、開業医をしていて、この家で娘 時代をすごしたのが、おイネさんという人で、おイネさんというのは、 日本にやってきたシーボルトの娘である。  長崎出島のスター・シーボルトだ。  やっとシーボルトと、全国区で有名な名前の人が出てきた。  この二宮敬作さんのところに勉強に来ていたのが、長州藩の村田蔵六、 のちの大村益次郎である。あの明治維新で、薩摩・長州連合軍の指揮を 取り、江戸幕府の軍をことごとく粉砕した、あの大村益次郎だ。  2人目の有名人が登場した。  でもこれでお終い。  私に取っては、司馬遼太郎さんの『花神(かしん)』、みなもと太郎 さんの『風雲児たち』をより楽しく読めるために来たので、じゅうぶん 満足なのである。  しかも運転手さんから、高野長英はこの家の二階に隠れていて、いま は一階のほうが朽ち果てたので、そのまま一階を潰して、高野長英が隠 れていた二階が、一階になっているという歴史を知るのに何の足しにも ならない話を聞いて、感動しているのである。 「ほかにも西日本最古の小学校・開明小学校とかありますけど、見て行 きますか?」と運転手さんがいう。 「いえ、そっちはけっこうなので、宇和島に向ってください!」 「景色のきれいな場所とかありますけど、そっちはどうですか?」 「いえ、景色はいいです。もうじゅうぶん目的は果たしましたから」  山田屋まんじゅうと、二宮敬作住居跡、高野長英隠れ家跡だけ見て帰 る観光客というのは珍しいのだろう。
 午後3時。宇和島入り。  宇和島といえば、闘牛である。  町のお土産にも、闘牛まんじゅうがあるほど、闘牛の町である。  駅前に「次の闘牛は、8月14日」という看板まで出ている。  もちろん、きょうは闘牛の日ではないが、せめて闘牛場だけは見てお こうと、宇和島市営闘牛場へ。  天満山というところに、ドーム状の建物があって、そこが闘牛場だっ た。  見学だけだと、無料で、会場が見られるようだ。
 いつも闘牛をやっているわけではないのだから、もっと闘牛の日以外 に来た人のための設備があってもいいような気がした。闘牛キーホルダー でも、闘牛まんじゅうでもいいから、置いておいてほしい。観光客は とにかくここに来たという証しになるものがほしいわけだから。 インターネットのカウンターではないけど、入場料を取って「きょう何 人目の入場者」「通算百万人目の入場」というカードを発行するだけで もいいと思うのだが。あと100人で、百万人目の入場者になれと言わ れたら、入場券を100枚買う人だっているだろう。いないか、そんな やつ!  午後4時。宇和島駅のクレメントホテルにチェックイン。  さすがに、義経の八艘飛びのように、あっちこっち巡って来たので疲 れた。  部屋で、仮眠する。  
 午後5時30分。宇和島市内にでかける。  夕方過ぎだというのに、肩が重くなるような、どんよりとした暑さだ。  いちばんの繁華街・きさいやロードに行く。「きさいや」は「来てく ださい!」という宇和島の方言だそうだ。    そういえば、この『月刊さくまにあ』で密かに集めている「方言のれん」。  どの地方でも売れないので、置いているお店がほとんどなくなってきた。  松山の方言「なもし」は、『坊ちゃん』で全国的に有名なのに、方言 のれんを売っていなかった。  ここについに「方言のれん」を集めることは断念する。  さて、「きさいやロード」だ。  道幅が20メートル近くあるのでは?と思えるほど桁外れに広いのは 見事だが、人が歩いていない。お店にお客さんがいない。たまに人が通 っても、自転車で通り抜けるだけである。
 どうも地方の商店街は、目的を失ってしまっているようだ。  だいたい商店街のホームページが出来たことを垂れ幕で大々的に自慢 しちゃあいけない。  今ごろ出来たことを恥じねば。 「よくわからんけど、うちの商店街にも、ホームなんとかってのを作っ てみるか!?」という会話が商店街の寄り合いで、なされているのが、 ありありだ。  商店街からは外れた、ほづみ橋のほとりにある大衆居酒屋「ほづみ亭」 に入る。  片っ端から、宇和島の郷土料理を注文する。  お店のご主人が「宇和島は郷土料理がたくさんあるよ〜〜〜!」と叫ぶ。  なるほど多い。
 フカの湯ざらし。サメである。ジョーズである。酢味噌で食べる。美 味しいけど、酢味噌が涙が出るほど、つーーーん! ちょっとたじたじ。
 ふくめん。コンニャクをそーめんのように薄切りにした上に、白身魚 のそぼろをまぶす。隠し味のはずのミカンの皮が、みごとに自己主張し ていて、おやつのような味で、絶品。私はこのふくめんがいちばん美味 しかった。  ただ『桃太郎電鉄』で、ふくめん屋という物件で出しても、想像がつ かないだろうなあ。フカの湯ざらし屋のほうが、夢が広がる。  ふくめんのほうが美味しいだけに、残念。  じゃこ天。じゃこ天自体、四国全体の名物である。こっちで天ぷらと いえば、さつまあげのような、このじゃこ天のことを指す。  骨まですり潰して入れているので、ときどきジャリッと歯ごたえがす るところがまた美味しい。
 太刀魚の竹巻き。穴子のたれ焼きみたいになった太刀魚が、竹に巻か れている。  鯛めし。渋谷の「宇和島」と似たタイプの鯛めし。  鯛をご飯の上に乗せて、とき卵を流し込む。
 このお店の郷土料理もどれも絶品で、お腹がはちきれそうなほど食べ たけど、鯛めしだけは、渋谷の「宇和島」のほうが美味しかったなあ。  帰りに、ほづみ橋を渡る。小さな橋で渡るというほどの大きさ橋でも ない。  ただ宇和島の法学者で、穂積陳重(ほづみむねしげ)という人がいて、 この人の銅像を作ろうという話が持ち上がったときに、生前から穂積陳 重(ほづみむねしげ)さんは「老生は銅像にて、仰(あお)がるるより、 萬人の渡るる橋になりたし」といっていた言葉がいかされて、この橋が できたそうだ。  人を見下ろすような銅像ではなく、人の役に立つ橋になりたいなんて、 何て立派な人なんだろう。  私なら、絶対銅像だな。  しかも、「銅像(どうぞう)見てください!」と、べたべたなだじゃ れを入れることを言い置くことだろう。   午後7時30分。クレメントホテルに戻る。  駅前で買った、蜜まんじゅうがやけに美味しい。ライトアップされた 宇和島城がきれいだ。この暑さのなか、宇和島城に登るのは、ちときつ いな。しかも明日は午前中に宇和島を立たないと、次の目的地に入るこ とができない…って、本当に『桃太郎電鉄』で、サイコロを振って進ん でいるような気分になって来た。
 

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