6月16日(土)

 午前10時。嫁が今朝ほどでかけたので、悪さをしなければと思えば、
思うほど、足は東京駅に向ってしまう。
 いかん。新幹線が呼んでいる。
 ああ! キップを買ってしまった。

 発車時間まで、東京駅での「資生堂パーラー」以外の軽食のお店を探
したいと思って、うろうろ。
 イタリア風ホットドッグというという美味しそうなメニューがあった
ので入る。スタンド風なのであまり期待できそうもないな。
 案の定、パンがパソパソに乾いていて、しっとり感まるでなし。
 なかなか「資生堂パーラー」に次ぐお店を探すのは難しそうだ。早く
東京駅にスターバックス・コーヒーが開店してくれないかな。

 午前10時45分。ひかり151号。
 実はこの新幹線ひかりが、1日に数本しかない浜松駅にも停車する
ひかり号なのだ。こだま号で行ってもいいんだけど、途中停車の通過待
ちが多くてねえ。しかも通過待ちのときのあの「ふわああああん!」と
いう突風と同時に車輌が浮き上がるのが気持ち悪いから、苦手なのだ。

 車中、『桃太郎電鉄』シリーズのアイデア出し。
 やっぱり新幹線のなかがいちばんアイデアが出るなあ。

 午後12時14分。あっというまに浜松駅に着く。

 午後12時22分。浜松駅には下車せず、東海道本線に乗り換えて、
高塚駅、舞阪駅。2つめの舞阪(まいさか)駅で降りる。
 舞阪(まいさか)駅は、「東海道五十三次」のうち、30番目の宿場 がある町だ。しかし駅前には何もなく、駅構内にも売店ひとつなかった のでは? 五十三次の町を訪ねるぞ!と意気込んだ気持ちを肩透かしす るかのように、気が抜けた。  東海道への道順も記されていないので、頭のなかで覚えている地図を 思い出しつつ、旧東海道へ向う。  おお! 旧東海道松並木が見えて来た.  これは見事な松並木だ。
 きょうは薄曇りなので、旅に出ても汗をかかずにすむと思ったのに、 少しずつ日が照って来てしまった。暑いじゃないの。  この松並木には、およそ10メートル間隔ぐらいで、東海道五十三次 の銅版が埋め込まれた石版が置いてある。
 いちいち2番目の宿場・川崎、4番目の宿場・保土ヶ谷という風に、 歩く度に進んで行くので、まるでiモード・ゲーム『さくま式東海道五 十三次』をリアル・バージョンでやってるみたいな気分になる。  ゲームの通り、10番目の宿場・箱根でひと休みしてみる。  すでに海が近いのか、磯の香りがする。  30番目の宿場・舞阪(まいさか)では何か趣向を凝らしているのか な?と思ったら、大きな石版になっていた。
 けっこう松並木は長い距離だったのだが、石版のせいで、かなり楽に 歩くことができた。  五十三次の石版が完結する頃には、国道1号線と交わる場所になり、 トイレと石像があった。  浪(なみ)小僧という石像だ。  いわれが書いてあった。
 何でもこのあたりで、魚が採れない日が続いたある日、真っ黒な小僧 が網にかかったそうだ。漁師たちは気味悪がり、小僧を殺そうとすると、 小僧は「私は海の底に住む、浪(なみ)小僧です。命だけはお助けくだ さい。その代わり、ご恩  返しに、海が荒れたり、風が強くなったりするときは、海の底で太鼓 を叩いてお知らせします」というので、海に戻してやりました。  すると、それ以来、天気の変わるとき、波の音がするようになったと 伝えられているそうだ。  ありがちな昔話だけど、浪(なみ)小僧のデザインはけっこういいな あ。太鼓を持っているところがいい。 『桃太郎電鉄』の貧乏神にも、太鼓を持たそうかな。笛のほうがいいか。 「笛吹けど踊らず!」。  国道1号線を行かず、さらに旧東海道を歩く。  急に、「しらす」「のり」「しらす干し」といった看板が増える。  ずいぶんと真っ直ぐな道だ。  午後1時30分。舞阪脇本陣に着く。  脇本陣(わきほんじん)というのは、大名、公家、幕府役人が宿泊す る本陣の補助をする宿のことだ。  この脇本陣を復元して、博物館風にした。入場無料。靴を脱いで、畳 の部屋にずかずか入って行けるのがいい。  かなり大きい。
 もはや歩きつかれて、汗びっしょり。ひと休みするにはちょうどいい。  すごいな。現代風にいえば、75坪、10LDKの家だ。しかもひと つひとつが8畳以上あるから、ゆったりしている。  脇本陣の模型も飾られていて、見どころもけっこういっぱい。  ここはお勧めの観光スポットだ。  しかし、人造の景色も、自然の景色には、絶対に勝てないことをこの あと知る。  脇本陣をそのまま進むと、舞阪(まいさか)漁港にぶつかり、浜名湖 がドッと広がる。この景色を見に来るだけでも、絶対舞阪(まいさか) に来る価値がある。  左手に天に向って架けられているのかと思えるほどの浜名大橋が美し い。  この浜名大橋の下が、今切口(いまきりぐち)と呼ばれていて、実は 昔、浜名湖は、海とは繋がっていない淡水湖だったそうだ。  ところが、室町時代1500年頃、大地震で海岸に切れ目ができて、 海と繋がってしまったそうだ。  この切れ目の部分を今切口(いまきりぐち)というようになったそう だ。
 そうか。ここが小学生の頃、地図帳の浜名湖に切れ目があって、これ は何だろうと思っていた場所か。  何しろ私は継母の弾圧のせいで、ありとあらゆる遊びを禁じられてい たから、勉強道具で遊ぶしかなかった。そのおかげで…とは言いたくな いのだが、毎日、地図帳をカーボン紙に写して遊んだ。だからこの浜名 湖の切れ目は何度線を引いたかわからないほどだ。  その場所にいまこうして立っているのが、不思議だ。  さて、東海道五十三次では、この今切口(いまきりぐち)のせいで、 陸伝いに行くことができなくて、渡し舟が次の「新居(あらい)宿」ま で出ていた。  東海道五十三次というのは、大井川の渡し、熱田神宮から桑名までの 海路があったり、箱根、さった峠といった険しい山道があったり、本当 に大変な道のりなのによく往来したものだなあ。  参勤交代の大名たちが、この旅行で疲弊したのが、よくわかるよ。  こうして今日、新幹線をつかってズルして来ても、じゅうぶんへばっ てるもん。  舞阪漁港から、本来道がなかった弁天島駅まで歩く。
 いよいよ足がもつれて来た。  ハンドタオルはもうぐっしょり。  駅前の土産物屋さんで、タオルを買おうとしたら、キティちゃんのグ ッズばかり。この町特有の土産物を開発しようよ。  おっと。恒例の「桃太郎電鉄! 物件シミュレーション」をやってお かないと。 <舞阪駅> しらす・のり屋・・・・・・・・・1000万円………50%・・食品 しらす・のり屋・・・・・・・・・1000万円………50%・・食品 スッポン養殖場・・・・・・・・・3000万円………20%・・水産 ウナギ養魚場・・・・・・・・・・5000万円………20%・・水産 ウナギ養魚場・・・・・・・・・・5000万円………20%・・水産  ウナギというと、浜松のイメージが強いが、ウナギ料理屋がたくさん あるのが、浜松で、ウナギを作っているのは、この舞阪という関係なの だそうだ。  なるほどね。  しらす屋と、のり屋を分けようかとも思ったけど、ほとんどのお店が 「しらす・のり」と並べた看板を出しているので、だったらいっそ「し らす・のり屋」にして見た。こっちのほうが語感が妙でいいよね。  もう完全に歩けなくなったので、恒例のズル!  弁天島駅から、タクシーに乗って、浜名湖を渡り、東海道五十三次の 31番目の宿場・新居(あらい)まで行く。  きょうの旅のメインはここだから、疲れて頓挫だけはしたくない。  しかし、東海道の宿場制定400年記念で、JR東海がいまキャンペ ーン中なのに、土曜日だというのに、誰も歩いていないなあ。てっきり おじいちゃん、おばあちゃんが嬌声を張り上げ、健脚ぶりを見せつけら れるのだろうなあと覚悟していたのに。  よくいるでしょ。旅先で石に座って休んでいると「あらまあ、若いの に! もうダメなの?」と皮肉を言って行く婆あが!  この浜名湖は、新幹線の車窓からの景色でもいちばん勇壮な場所だ。  東海道本線が並んで走り、向こうには浜名大橋が見え、新幹線からも 浜名湖の真中にそびえる鳥居が見える、あの場所だ。  新幹線からは御殿のようなお店が建ち並ぶ姿が見える場所でもあるの だが、きょうこうしてタクシーで裏側の道を走ると、ほとんどのお店が 潰れていた。ちょっとショック。浜名大橋のバイパスができてしまった せいだそうだ。    新居町(あらいまち)駅が見えて来た。  舞阪駅、弁天島駅とは比べ物にならないくらい立派な駅舎だ。  タクシーの運転手さんに言わせると、浜名湖競艇のせいで、豪華な駅 舎になったという。町の道路も新居に入ってからは、花が植わっていて、 美しい。  でもその新居も、競艇が衰退の一途をたどっていて、もうダメだとい う。 「えっ? でも不景気になったら、競艇みたいなところで、一攫千金を めざす人は増えるんじゃないですか?」 「いやあ、大金を賭けなくなって、4億円だった収入が今は半分以下に なってるそうですよ!」  ふうん。バブルのときのほうが、競艇も儲かっていたのか。  ちょっと意外。  10分ほどで、新居(あらい)の関所跡へ。  新居(あらい)といっても、東海道五十三次にあった関所だと言える 人は少ないと思う。箱根の関所よりはるかに知名度が低い。  ところが、この東海道で、関所があったのは、箱根とこの新居の2ヶ 所しかなかったのだ。 「入り鉄砲に、出女(でおんな)」と言い方を聞いたことがあると思う。  この言葉は、箱根の関所を言い表すときの言葉として定着しているが、 この「入り鉄砲」のほうは、実はこの新居の関所のメインの仕事だった そうだ。  この新居を抜ければ、浜松、静岡と、徳川家ゆかりの土地が続く。だ から箱根で鉄砲が江戸に入るのをチェックしようにも、ほとんどが身内 だから「入り鉄砲」の可能性はほとんどなかったのだ。  だから「入り鉄砲」の危険性があったのは、この新居の関所だったわ けだ。  この新居の関所跡。実は全国でも、唯一、当時の建築が残る関所とし ても、非常に貴重な場所だ。  このことは私も、『さくま式東海道五十三次』のゲームを作る前まで は、まったく知らなかった。
 きょうも関所跡の前では、発掘作業が続いていた。  いまは埋め立てられて地続きになっているが、さっきも言ったように、 舞阪から新居までは、渡し舟が出ていた。  その渡し舟は、この関所のすぐ脇まで来ていたのだ。  ということは、この新居の関所は江戸時代、ほとんど浜名湖に面して いたってことになる。    新居の関所跡には、2階建ての関所資料館もあって、かなり見どころ は多い。  しかし昔の浮世絵などを見ると、どれも「新居」ではなく、「荒井」 の表記になっている。いつ頃から「新居」になったのだろう。  新居の関所は、地震、津波などで、江戸時代に二度移転して、現在の 場所に落ち着いたというから、「荒井」な場所だったのだろう。
 通行人を取り調べる面番所(めんばんしょ)は、45畳もの広さがあ って、人形6体並んでいて、非常に当時の様子がわかりやすい。  たまたま、お婆ちゃんだらけのツアー客がドッと入って来た。  団体客には、解説してくれるようで、私も何食わぬ顔で、団体客の一 員のふりして、解説を聞く。  渡し舟で、ここから舞阪まで、4キロの湖上で、2時間ぐらいかかっ て、渡っていたそうだ。えっ。歩くより遅かったのか。  新居の関所跡を見終わる。  ここから次の白須賀(しらすか)の宿まで歩いてもいいのだが、もち ろんそんな余力が残っているわけがない。  いつものように地元の人に「新居町(あらいまち)駅まで戻ればすぐ ですよ」といわれて歩き、思い切りへばる。  まただまされた。  バスを待とうかとも思ったが、1時間に1本しかない。  歩くしかない。     午後3時。けっきょく、1時間に1本のバスと同時に、新居町(あら いまち)駅にたどり着く。しかもちょうど下りの東海道本線が出たばか りだ。
 次の豊橋行きまで、あと20分ある。  ん? 豊橋? 豊橋といえば、3年前ぐらいによくこの日記に登場し た、私の鞄持ちのバイトをしていた中尾淳(なかお・じゅん)の家が近 いのではないか?  ここまで来て、連絡しないのもかわいそうだ。  しかもこの4月にタウン誌に就職して、彼女も出来たとメールが来て いたから、忙しいかも知れないけど、とりあえず電話してみよう。  柴尾英令くんもよく言うが「柴尾さんの日記を見ていると忙しそうな ので、声をかけませんでした!」という言い草は、私も大嫌いだ。人に やられて嫌なことを人にすべきではない。 「中尾くん、ひさしぶり! いまは彼女とデート中? それとも仕事中?」 「いや、その、家でぶらぶらしてます」 「何だよ、彼女とラブラブなんじゃないの?」 「彼女はきょう仕事なんで…」  おっ。ってことはまだ彼女と続いているってことか。 「ところで中尾の家から、豊橋まで近いんじゃない?」 「ええ? むちゃくちゃ近いです」 「ひさしぶりに会う?」 「行きます!」  こういうことには運のいい男だ。  午後3時20分。新居町(あらいまち)駅から、3輌編成の見慣れた おんぼろの東海道線に乗って、豊橋に向う。豊橋駅まで、わずか4駅だ。  電車はやけに混んでいた。  4人掛けの席には、中近東の人が3人座っていた。  もうごくありふれた景色のように、世界じゅうの人が日本にいるよう になってしまったなあ。顔も日本に長くいるせいか、日本人っぽくなっ ている。   午後3時40分。豊橋駅に着く。  早く着きすぎた。  しばらく改札口で待っていると、中尾淳が走って来た。  あいかわらず、童顔だなあ。はっはっは。
 豊橋駅の駅ビルの2Fで、お茶。 「さあ! 尋問だ! さっそく中尾くんの彼女の話を聞かないと! 彼 女が出来て楽しいだろう?」 「はい!」 「何歳?」 「おない年です!」 「中尾くんは、今年何歳になったの?」 「25歳です!」 「もう25歳かあ…」 「はい。『ジャンプ放送局』に投稿したのが、15歳の頃だったから、 もう10年になります」 「そうかあ。おっとっと。彼女の話、彼女の話! 何してる人?」 「保母さんです」 「おお! いいじゃない! いいじゃない!」 「ところで中尾くん、タウン誌の仕事はどうだい?」 「実は、その会社は辞めてしまって、ちょうど明後日から、新しい会社 のほうに出社するところです」 「へ〜。どんな仕事?」 「製版業で、広告のレイアウトとかやる会社です」 「えのクンのバナナグローブ・スタジオみたいなところだな」 「そんな感じです」 「そういえば、菊池晃弘さんが文春漫画賞を取りましたよね。ボクは菊 池さんに1回か、2回しか、会っていないんですけど、おめでとうござ います!とメールを出したんですよ。そしたらすぐ返事が来たんですよ 〜! すごいですよね〜! プロだなあと思いました」 「そういうことができるようになったから、漫画賞もらえるような男に なったんだろうなあ!」 「それがさくまサンが言っていた、笑止会でなかよくなった人にはまめ に連絡を取れっていってたことなんですね?」 「そうだよ。でもさ。なかには、私のまわりの人たちから、まったくメ ールが来なくなって、それを私が『出すな!』と指図していると思って いるやつもいるらしいからな。まわりの人からは、『彼にメールを出し ても、ちっとも返事が来ないんですよ〜』と、苦情がこっちに来るのに さあ!」 「う〜ん。それはまずいですねえ! でも最近ですよ。ボクも笑止会で もっと積極的にいろんな人となかよくなっておけばよかったと思ったの は…」 「そんなもん。そんなもん。私だって、かつてもう一歩踏み出して、な かよくなっておけばよかったと思ったミュージシャンやタレントなんか たくさんいるよ」 「メールって、大事なんですねえ!」 「そうだよ。中尾がずっとメールを寄越さなかったたら、こうして会お うかな?とも思わなかったしさ。ちょっとメールが来る間隔は長いけど。 はっはっは。存在を忘れそうになる頃、ひょっこり来る」 「す、すみません!」 「まったく来ないより、いいんじゃない?」 「おっとっと。中尾くん、そろそろ私は帰らないといけない」 「東京へ帰るんですか?」 「そうだよ!」 「こだま号で…?」 「甘いな。名古屋まで新幹線で行って、名古屋からのぞみ号に乗って、 東京に戻る! Vターンだ!」 「え〜〜〜、そんな乗り方を?」 「馬鹿らしいだろ。だからやりたいのよ。実はきょうもこうして乗車券 は、あらかじめ名古屋まで買っておいたんだ。本当は新居町駅から浜松 駅まで戻って、新幹線で帰ったほうが早い」 「へ〜〜〜!」 「乗車券1枚で、きょう何度も電車に乗れたから、なんか得した気分だ な。これであとは、名古屋駅で、みそかつチキン弁当を買って帰れば、 時間短縮できて、東京に午後9時ぐらいには着くはずだ」  午後5時54分。こだま471号で、名古屋に向う。  午後6時24分。名古屋駅に着く。  駅おべんとう売り場で、みそかつチキン弁当を買って、本屋さんで本 を3冊ほど。
 午後6時48分。のぞみ24号。  乗車と同時に、みそかつチキン弁当を食べて、本を読み始めたら、睡 魔に襲われて、熟睡。  午後8時29分。東京駅。  東京駅のハイウェイバス乗り場近くの「カフェ&レストラン」でコー ヒーを飲んで、携帯メールを嫁に送る。  午後10時。帰宅。
 

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