12月21日(木)

 私は、ファンに対してやさしい男である。
 20数年間にわたって、読者ページを担当して来たから、そのありがたさというものは
誰よりも熟知しているつもりだ。
 だからどうしてもファンだといってくれる人の言うことを、つい後先考えずに、OKし
てしまう癖がある。
 もちろん私が無理してOKしているのを感じ取って、気をつかってくれるファンの方も
たくさんいるのだが、たまに、一度OKすると、それならばと次々に図々しくなって行く
人がいる。
 二の丸、三の丸を落とし、天守閣に登らんとする敵兵のように、傍若無人な振る舞いに
なってくる。
 ちょっと冷静に考えれば、図々しいことを言っていると気づくはずなのだが、どうも何
度言っても、私の言葉が弱いせいか、届かない。
 昨夜もこの要求に苦しみ、神経性の下痢になり、自分の意志の脆弱さが許せなくなって、
午前4時過ぎまで、まったく目がさえてしまい眠れなくなってしまった。
 これからもファンは大切にして行くが、節度を考えて、延髄で物を言わないように気を
つけます。
「情けは人のためならず」を肝に銘じて。

 午前11時。きょうは嫁と別行動なので、ふらふらと家を出て、国立競技場方面へ向っ
てとぼとぼ歩いて行く。
 この時点ではまだ行き先を決めていない。
 どうせリハビリのための散歩だ。どこを歩いてもいい。

 大江戸線「国立競技場駅」まで来たので、どたんどたん!と音を立てながら、長い長い、
どこまでも長い階段を下りる。
 やっぱりどうひいき目に見ても、階段が多すぎるなあ。大江戸線は。上りのエスカレー
ターはあるけど、下りが少ない。
 びっくりするほど年寄りがよく乗る路線なのだから、エスカレーターの設置にはもっと
力を入れてほしかったな。
 たぶん地下鉄側もこんなにたくさんのお年寄りが乗車するとは思っていなかったろうが。

 午前11時30分。青山一丁目→六本木→麻布十番→赤羽橋→大門→築地市場→勝ちどき。
 あっというまに、勝ちどき駅に着いてしまう。
 国立競技場まで15分。地下鉄で勝どき橋まで、15分。
 この大江戸線は、速いという点ではかなり評価を高くしたい。都心は渋滞で車だとかな
り時間を食う。でも地上から入ってホームまで、どこでも5〜6分余分に見ておかないと
いけないのが、面倒だ。

 勝ちどき駅といえば、もんじゃ焼きか、駅名にもなった、勝どき橋である。きょうは、
勝どき橋のほうを狙う。

 勝どき橋は、正しくは「勝鬨橋」と書く。
「勝ちどきを上げる」の「勝ち鬨」である。じゃあ、何のときに「勝ちどき」を上げたの
かというと、明治38年に遡る。
 日露戦争の旅順陥落を祝った有志が、「かちどきの渡し」という、渡し船を作ったこと
から、のちにこの名前がついたそうだ。
 
 この橋は、1940年に完成したことよりも、現在40歳以上の人たちにとっては、ロ
ンドンブリッジのように、真中から二つに割れて、跳ねるように開き、その間を背の高い
船が通過することで有名だった橋だ。
 
 実は私もこの橋が大好きで、小学校に上がる前ぐらいのとき、よく父親に連れて行って
もらって、1日5回くらいしか跳ね上がらない橋をじっと待っていた記憶がある。
 それにしても父親は、今から考えると何でこんな遠くまで私を連れて来たのだろう。
 東京の杉並区から、ここまで当時、何時間かかったのだろう。
 大江戸線が開通する前でも、杉並区の実家からだ2時間近くかかったはずだ。
 子どもの頃は、たしか荻窪駅から出ていた都電に乗って、ここまで来たはずだ。
 しかし都電は、当時、新宿までだったぞ。いまのちょうど新宿区役所通りの入り口あた
りに、終点の駅があったはずだ。まさかそこから都電を乗り継いで行ったのだろうか? 
ああ! 記憶が曖昧だ。
 何にせよ。父親がこんな遠くまでなぜ私を連れて来たのか、謎のままである。親戚がい
たようには思えない。

 しかも小学校に上がる前だったから、「残された1枚の写真」のように、たった1ヶ所
の風景しか覚えていない。
 あっ、もうひとつ思い出した。都電だ。
 都電がこの勝ちどき橋の上を通っていて、跳ね橋が上がるときは、都電もじっと橋が閉
まるまで待っていた。
 なんとも悠長な時代だ。

 あれからすでに40年以上たっているわけだから、まったく記憶にある橋ではなくなっ
ているのだろう。
 
 そんなことを思いながら、橋に向って歩いて行く。
 ひとりで来たので、デジカメを忘れたことが悔やまれる。

 前方に、水色の大きな「かちどきばし」と書かれた大きな橋が見えて来た。えっ? こ
んなに大きかったかなあ? ふつう子どもの頃に見た景色というのは、当時広く見えても、
大人になって見てみると、びっくりするくらい狭いことに驚く。
 きょうはその逆なのだから、全面的に橋は架け替えられたのだろう。隅田川も想像以上
に大きく感じる。拡幅したのかな?

 おや? あれは?
 あの真中の建物には、見覚えがあるぞ!
 あっ! あそこで橋を動かして、橋を跳ね上げさせる場所だ。うん! これだ! これ
だ! 私がたった1枚の写真のように覚えている景色だ。間違いない!
 ん? ん? でも!
 写真が左右逆転したかのように、この橋を作動させる建物が、前方右手に位置している。

 ということは、ひょっとして、私の記憶の「1枚の風景」は、向こう岸から見た風景な
のではないのか? 何だか推理小説をテレビドラマ化したときのエンディングに近いシー
ンみたいになって来たぞ!
 ここで主人公の刑事が颯爽と橋を走って渡りきるのだが、私の場合、足が不自由なのに
加えて、ダンプカーで揺れる橋におろおろしながら、よろよろ歩いているものだから、ち
っとも格好よくない。

 何〜ッ!?
 私が橋の中央で見たものは!
 それは一体、何!?

 と、テレビがなかなかその核心を放送しないときというのは、たいした結果ではなかっ
たときである。何とかしょぼい映像素材を、演出と音で誤魔化そうとしているだけだ。え
っ? 最近のゲームとおなじだって? それは同業者の私の口からはいえません!

 というわけで、私が見たものも、たいしたものではなかった。
 前方のビルに書かれた「築地市場」という文字が目に入ってたのだ。なんだ、勝ちだき
橋と、築地市場はこんなに近かったのか。
 勝ちどき橋の向こう側がどこかも確認しないで歩いている私もいいかげんなのだが、思
い出の場所はあまり事前に調べてこないほうが、楽しい。
 
 父親がなぜ私をこの橋まで連れて来ていたのかがわかった。我が家は、杉並区上井草の
駅前で、今川焼き(大判焼き)を売ったり、アイスクリーム、カキ氷を売っていたりして
いたので、父親が、お店の食材を築地に仕入れに来たついでに、ここを見せてくれたのだ
ろう。そうに違いない。
 答えなんてものは、わかってしまうと本当にあっけない。
 
 午後12時。築地まで来たので、毎度おなじみのお寿司屋さん
「太老樹(たろうき)」で、ランチにぎり・850円を食べて帰ることにした。
 築地は、大江戸線のせいでドッとくりだしたおばあちゃん、おばちゃんたちでごった返
していた。ものすごいシルバー効果だ。高齢化社会のせいで、下町の時代が来そうだな。
東京下町ランドとかできたりして。

 午後1時。帰宅。短時間のわりに、やたらと疲労している。大江戸線の階段昇降と、勝
ちどき橋を渡ったのは、ちとつらかった。
『桃太郎大全集(仮)』の仕様書作り。
 ちょっと仕事したら、仮眠するつもりが、乗ってしまったので、まったく休まないまま
時が過ぎて行ってしまった。

 午後3時。美容室に行こうと、でかける。原宿に向って歩いているときに、何気なく手
を携帯電話の袋に置いて、青ざめる!
 「し、し、柴尾英令くんしてしまったあああああ!」

 解説。仲間内で、携帯電話を置き忘れる回数が圧倒的に多いのが、あわてん坊将軍の異
名を持つ、柴尾英令くんである。
 2日前も、前回携帯電話を置き忘れて「内儀屋(かみや)」で、柴尾英令くんと、忘れ
物談義に爆笑したばかりだ。
 う〜ん。柴尾英令くんをからかい過ぎた天罰が下ってしまった。

 たぶん、築地から自宅まで乗ったタクシーのなかだ。
 自分の携帯に電話しなくちゃ!
 しかし、ここで恐ろしいことに気づいた。万が一のために、私はテレホンカードを1枚
携えている。京都高台寺で買った豊臣秀吉のテレカだ。テレカはあるものの、公衆電話が
ない。本当にない。

 けっきょく家まで戻って、電話する。
 タクシーの運転手さんは、いま八重洲口にいるそうだ。ちょっと遠すぎる。2時間後に
また電話すると言って、電話を切る。乗ってたときから、真面目そうな人だったので、電
話が繋がった時点で、不安は無くなった。

 で、原宿の「ヘアストリート」へ。
 
 午後5時すぎ。美容室を出て、ローソンの前から、自分の携帯に電話する。なんと、現
在大田区の大森のほうまで行っているという。
 そ、それは遠い。
「大森に着いたら、日比谷シャンテまで来てください!」と言って、今度は嫁に電話する。
 すでに一度嫁は私の携帯に電話したようで、事のあらましを全部知っていた。

 とにかく、家族3人で、日比谷シャンテに向う。きょうはこれから小学館のパーティに
行く予定なのだ。

 午後6時。予定よりかなり遅れて、日比谷シャンテに到着。でもここで会うのは、菅沼
真理(通称:すがねまチャン)さん。
 来年から『週刊ヤングサンデー』でお仕事を始めることになったので、いっしょに行こ
うと約束していたのだ。

 でも、運転手さんは大森から、師走の町をこっちに向っているので、いつまでたっても
到着しない。
 嫁、娘、すがねまチャンの3人には、先に会場の帝国ホテルに行ってもらう。
 私は嫁の携帯を借りて、ずっと喫茶店で待つことに。

 午後7時。ようやく、運転手さんが到着。
 お礼をいうと「いやあ! こっちが見落としたんだから、私のミスで申し訳ございませ
ん!」という。乗ってたときと、おなじ真面目で人のよさそうな人だ。
 電話で「タクシーのメーターを倒して来てください。その分のお金をお支払いしますか
ら!」と言っていたのだが、メーターを倒さず、そのまま「回送」で来てしまっている。
困ったなあ。
 それどころか、「電話お返しします! このまま電話をつかわさせていただきました!」
とまで言うではないか!
 いまどき、こんな人が都会にいるかと思うと、ほろりとしてしまうねえ。年の瀬だけに、
よけいそう思う。

 最後まで「初乗りの660円」でいいですと言い張るので、嫁が銀行の封筒にちょっと
した距離分のお金を入れて、私に持たせてくれていたので、その封筒を無理やり押し付け
て去ることにした。
 こんないい人と、もうちょっとなかよくなりたかったんだけど、本気でお金を取ろうと
してくれなかったので、退散する。

 午後7時過ぎ。帝国ホテルへ。
 すでにたくさんの人に、携帯置き忘れ事件が伝わっていて、会場に入るや、矢継ぎ早に
会う人ごとに言われる。すごい視聴率だぞ!

 家族と、すがねまチャン、ハドソン桃太郎事業部の武田学くん、梶野竜太郎くんと合流
して、さっそくいろんな人への挨拶回り。

 何だかこの不景気なのに、きょうの小学館のパーティは、過去最高の人数が集まってい
て、景気はいいが、人を探すのに適していない。おかげで、この日記を読んでる人にとっ
ては、写真を見たいような人とたくさん会ったけど、デジカメできず終いになったのが多
い。
人のあたましか見えないくらいの大盛況!
 覚えてるだけで、挨拶した人たちを並べてみる。  50歳になって、早くも孫が生まれて、おじいちゃんになってしまった、夏目房之介さん。 『100億の男』『ジャンクボーイ』のヒットで知られる、国友やすゆきサンと、なんと 15年ぶりくらいで再会する。  実は国友やすゆきサンも、学生時代からの知り合いで、なんと私が漫画の原作を書いて、 国友さんが絵を描いた時期がある。もうちょっとで連載というところまで行ったのだが、 実現しなかった。  ひさしぶりに会ったものだから、お互い記憶がぐちゃぐちゃ! 国友さんなんかとくに ひどくて、一時期私の家から、30メートル先のマンションに住んでたことも忘れていた。 ひどいもんだと、お互い大笑い!  細野不二彦くん夫婦には、日比谷シャンテの喫茶店のところで、すでに会った。横浜ベ イスターズの話はお約束。  声優の神谷明さんとご挨拶。  神谷さんの近くにいたのが、『名探偵コナン』のメグレ警部とか、ああ! 忘れた。と にかく『コナン』の声優さんたち。  小池一夫劇画村塾の後輩である、山本直樹くんと、とがしやすたかクン。山本直樹くん が、10歳になる男の子を連れて来ていた。若き日にバカ話を言い合った友だちたちの子 どもがどんどん大きくなっている。夏目房之介さんは、おじいちゃんだもんなあ。大泉逸 郎の『孫』だもんなあ。  おっと、忘れちゃいけない、『ダンドー!』の万乗大智さん。  かつてうちでしばらく『新桃太郎伝説』の敵キャラの下絵を描いていた森田崇が、つい に『コミックGATTA』で、来年から連載が決まったそうだ。おめでとう!  いやあ、多い! 多い!  漫画大好きっ娘のすがねまチャンは、私が知り合いの漫画家さんが、みんなごひいきの 漫画家さんだったようで、興奮しまくりだったそうだ。山本直樹くんは、直筆の絵まで描 いてくれたもんなあ。  でも、すがねまチャン「わ〜! 漫画とおなじ書き文字だあ!」 と漫画マニアならではの感想を漏らす。  あと誰に会ったかな?  編集さんや、編集プロダクションの人にたくさん会ったんだけど、その人たちの名前を 言ってもねえ。  柴尾英令くんは漫画家さんではないしなあ。でもきょうは私の立場はとても小さい。何 たって、携帯忘れの名人に肉薄したのだから。せめて『桃太郎大全集(仮)』の泣けるシ ナリオを早くと読ませてくれよと、不発を交えながら応戦するのみである。  あだち充さんを見かけたけど、挨拶できなかったし、高橋留美子さんは見失ってしまっ たしと、きょうは本当に人を探しづらい!  あと誰か書き忘れたかなあ? 『桃太郎電鉄』のファンだという新人漫画家さんたちにも、何人か会っているので、もう 覚えきれない。  書き漏らした方々、すみません! 年よりは忘れっぽいと思ってくだされ!  午後9時。帰宅。  私だけ帰宅して、嫁と娘は『週刊ヤングサンデー』の2次会へ。  今夜も『桃太郎大全集(仮)』の仕様書作り。絶好調なれど、波高し。ゴールは一向に 見えない。  せめて『ヤングサンデー』の2次会に行った柴尾英令くんを、また一歩リードできる悪 徳の喜びを糧に、がんばんべー!と、古い流行語。
 

-(c)2000/SAKUMA-