11月26日(日)

 函館国際ホテルにて、起床。
 ついに北海道滞在1週間目である。もはやすっかり道民だぞ。
 でも疲れた、ほんに…。
 昨日も、札幌のホテルに携帯電話の充電器を忘れて来たことに気づく。今回の旅は、
大きなミスでは無いが、忘れ物だらけで、几帳面&小心者の血液A型にしては、珍しい
忘れ物の連発である。
 タクシーのなかに、携帯電話を忘れて、東武練馬から、東京を横断して、品川まで携
帯を取りに行く、映画好きのゲームデザイナーのようである。
 函館は、小雨模様。

 午前10時。ホテルをチェック・アウト。
 我が家の食べ物主導権は、つねに娘が握っているので、国際ホテルの裏の海鮮市場へ。
「お〜い! 娘よ! ここは5日前に、オレは土居ちゃん(土居孝幸)と行ったよ〜!」 「イクラ丼が食べたい!」 「昨日も鮨金で食べたじゃないか!」 「いくらをたっぷり食べたい!」
 というわけで、「いかいか亭」へ。  私は、サーモン、いくら、イカ、甘海老が入った、いかいか亭丼を食べる。やっぱり このお店のイチ押しは、これだな。  ついでに、イカの沖漬けに、漁師焼きも注文する。  イカの沖漬けは、子どものイカみたいなのが、姿のまんま漬けてあるような美味しい もの。漁師焼きは、肝(イカごろ)を混ぜて、焼いているので、ちと苦い。  私は食い道楽とはいえ、まだまだ味覚のほうは、お子ちゃまなので、にがいのがダメ だ。肝(イカごろ)がまぶされていない、足の部分だけ食べる。それでも十分過ぎるほ ど、美味しい! しかもこの漁師焼き、イカを1匹まるまる焼いて、350円という安 さは驚きの価格である。  午前11時。元町公園の「函館写真歴史館」へ行く。この元町公園は、函館奉行所の 跡地だそうだ。函館奉行所というと、明治維新の函館戦争を思い出して、わくわくする ものがある。
 この「函館写真歴史館」には、あの「ペリー来航」のペリーたちが函館に来て、松前 藩士たちの写真を撮ったものが、展示されている。左右逆に写っている写真だ。  しかもこのときに、松前藩士が撮影のために着ていた裃(かみしも)まで展示されい た。  写真撮影が、よほど一大事だった証拠だろう。  その後、写真を撮ると、魂が抜かれるといわれるようになったきっかけは、この人た ちのせいかもしれない。  さらに、函館で写真館を開いた人たちのことが、展示されている。  ひとりは、あの有名な、新撰組の土方歳三の写真を撮っている。北海道に来ると、何 度でも見ることがある、土方歳三の写真だ。あの函館戦争のときに、榎本武揚とともに、 写真を撮っていたわけだ。わりと余裕があったのかな? ほとんど土方歳三は死に場所 を求めて、函館に来ていたと思っていたのだが…。  日本に写真機が伝わった当時のものが多数展示されていて、けっこう興味深い場所で ある。  函館というのは、100万ドルの夜景でおなじみの函館山から、幾筋もの坂道が降り ていて、それぞれ、二十間(にじゅっけん)坂、八幡(やはた)坂、基(もとい)坂と いった名前がついている。函館が坂の町と呼ばれるのは、このいくつもの坂のせいだ。  このいくつもの坂を横切る道を、そぞろ歩く。  雨がぽつぽつ。面倒なので、傘は差さない。  函館は、古いままの家がそのまま残っていて、町全体が、明治村のような雰囲気であ る。  七竈(ななかまど)の花の実を、ぶどうのようにたわわにつけた木が、まるで紅葉の ように、激しく美しい。
 おっと、この道をまっすぐ行くと、これまた5日前に土居ちゃんと食べに行った、 ソーセージのお店「レイモン・ハウス」があるではないか! 「おい、娘よ! まさか朝ご飯食べて1時間後の今、レイモン・ハウスに寄ろうとか いうんじゃないだろな!」 「食べるよっ!」  ダメだ。こいつの食い物に対する執念は尋常ではなかった。
 午前11時15分。「レイモン・ハウス」に入る。これじゃ火曜日、土居ちゃんと 食べたコースとまったくおなじだよー!
 娘はもちろん、ジャーマンポテトのセット、私と嫁で、ソーセージのお皿を一皿。  火曜日には、このお店のジャーマンポテトの美味しさばかり書いていたけど、実は このお店の専門分野は、ソーセージ。だから「胃袋の宣教師」の異名を持つ。  だからここのシュリンガー・フランクという粗引きソーセージは、ほかのお店を寄 せ付けないくらい、ぶっちぎりの美味しさである。  最近は全国的にデパートの地下などに進出したり、北海道物産展などには出店する ようになってきたので、ぜひ一度ご賞味あれ!  食後、案の定、うちの娘が、ソーセージ酔いを始めた。  本当に美味しい物を食べたときにだけ発病する、この酔っ払い状態。今回の旅行中 には連発で出た。 「幸せ! 幸せ!」と連呼しながら、ふにふに笑って、千鳥足で歩く中学2年生とい うのは、とっても不気味である。  きょうのソーセージは、娘にとては、5〜6年ぶりに食べただけに、相当悪酔いし たのか、ディズニーランドのパレードの曲みたいな自作の歌を歩きながら、えんえん 歌い続ける。困ったやつだ。 「うるさいぞっ!」 「えへへへへ〜〜〜!」 「笑い声の語尾が、上がってるぞ! おい!」 「えへへへへ〜〜〜〜〜〜!」  ダメだ、こりゃ!  歩きながら、たまたま見つけた雑貨屋さんに入って、ようやく娘の酔いも醒めたよ うだ。
昭和の始めのような函館・元町の街並み
 午後12時30分。骨董と甘味のお店「ひし伊」に入る。  函館の観光ガイドには、必ず載っている茶房で、蔵を改造したお店。嫁と娘は何回 か来ているようだ。私は初めて。  長旅で疲れているので、つい「ひし伊風パフェ」を食べてしまう。北の大地は乳製 品が美味しいから、どこで食べてもパフェが美味しいのだ。1週間の旅行で、4キロ グラム体重が増えたという人がいるくらいなのが、北海道である。
市電に乗って…交差点も懐かしい。
 午後1時39分。函館発、はつかり22号。飛び石連休の最後で、奇跡的に乗るこ とができた列車だ。さぞかし、超満員だと思ったのだが、禁煙グリーン車は、16席 あるが、5人ほどしか乗っていない。5人のうちの3人はわが家族である。  途中の木古内(きこない)駅とか、蟹田駅から乗客が乗ってくることはまず無いか ら、青森駅から乗ってくるのか…。  しかし、函館からほぼ2時間、16席ある座席が、11席も空っぽのまま、運転す るとはもったいない話だ。  でもまあ、先に青森から盛岡までの座席をたくさんの人が予約してしまえば、函館 から盛岡まで行きたい人がいくらいても、乗ることができない。まあ、至極当然のこ とだが、あれほど乗りたくても乗れなくて、四苦八苦させられたこの列車が、こうし て座席が、ガラガラというのは、なんだか納得が行かないものだ。  午後2時32分。青森駅。  青森駅は引込み線になっているので、盛岡方面に向うときは、来たときとは逆の方 向に走る。だもんで、座席の方向を自分たちで変える。面倒だが、今後こういう形で 列車の方向が変わる駅などというものは、どんどん減っていくから、これはこれで貴 重な体験かもしれない。私はもう過去何10回もこの動作を繰り返している。  さて、不思議なことに、青森駅から誰もこのグリーン車に乗ってこない。  え〜? どういうことだい?  う〜む。飛び石連休だから、青森駅の隣りの浅虫温泉から、どっと行楽客が乗って くるのかな? いずれにしても本当に2時間空っぽのまま、列車を運行しておきなが ら「満席」の表示は、絶対変だぞ!  午後4時26分。三沢駅着。  函館を出てから、2時間47分。なんとこの駅からお客さんがやっと乗ってきて、 16席のうち、8席が埋まった。それでも、やっと半分である。  午後4時41分。八戸駅着。  おお! ついにお客さんがドッと乗って来た!  16席のうち、15席が埋まった。ほぼ満員。まあ、このひとりは急病とかで、乗 れなかったと想像しよう。  しかし、函館を出てから、3時間02分間埋まらない列車を運行する無駄を少しは 考えんかいっ!  私は13年前、毎月札幌まで電車で往復していたときから、この列車が取れなくて 困りまくっていたのだ! そうか! ついにその原因がわかったぞ! ちくしょー!  函館から、青森、盛岡の2駅しか停まらない列車を作って、それとは別の青森から 盛岡までいくつも駅に停まる列車を走らせればいいだけじゃないか!  小学生でも気づくことだぞ!  しかし、ここから先は、小学生では気づくまい。  この函館―青森―盛岡のほぼノンストップはつかり号を運転しても、JR東日本に は、何の得も無いからだ。  函館から、木古内、蟹田(青森県)までは、JR北海道の路線で、蟹田から先が、 JR東日本の路線なのだ。  だから函館―青森―盛岡のほぼノンストップ列車を作ったら、函館からの利用客が 増えて、お金がJR東日本に落ちなくなる。なるはずだよな、確か? 間違ってたら、 鉄道マニアのみなさん、訂正してね!  とにかく早く、新青森駅まで、新幹線を通してくれということだ! もちろん本音 は、函館、いや、札幌までだけど。  早く、新幹線を通せ〜!  午後5時53分。盛岡駅着!  ここから新幹線に乗り換える! しかし乗り換え時間は、7分間しかない。不自由 な足を必死に前に押し出して、走る! 走る! いや、跳ねる! 跳ねる!  はつかり号が停車したホームは、1階。  新幹線の駅ホームは、3階である。  も〜〜〜ちろん、はつかり号からの階段には、エスカレーターなんて、便利な代物 はない。ちなみに函館駅のホームにも、エスカレーターは無い。北の駅は本当に開発 が遅れている。鉄道好きな政治家よ、出でよ!  午後5時58分。新幹線に飛び乗る。ふうっ! これでも今回乗り換え時間が7分 間になったのは、かなり進歩なのだ。かつて北海道に毎月この電車で通っていたとき は、6分間しかなかった。しかも13年前当時は、まだ宅急便のシステムもほとんど 普及していなかった時期だけに、重い海産物やら甘い物をたくさん抱えて、行商人の おばちゃんのように、必死に腰をかがめて、階段を必死に走ったものだ!  午後6時1分。盛岡発、やまびこ24号。  一段と東京が近い気分。  函館からずっと車中、娘と『桃太郎大全集(仮)』の仕様書作りを進める。すっか り最近うちの娘がゲーム作りに役立つようになってしまった。手取り足取り教えなか ったせいで、盗み聞きしていたようだ。こういう覚え方のほうが、はるかに学習能力 が高く、自分の考えも持つようだ。  たしかに小学生の頃から、大阪の『桃太郎電鉄』シリーズを作ってもらっていたメ イクソフトさんの会議も、ひとりで京都に残して行くわけにもいかないから、いっし ょに出ていたからな。  ただし、会議中に、迷路を紙に書いて遊んでいたが。  落語家さんに弟子入りしても、毎日掃除、洗濯ばかりやらされて、ちっとも落語を 教えてくれないという話が、小説や漫画に出てくるものだが、掃除や洗濯ができる位 置にいたら、いくらでも勉強できるチャンスがあるではないかと気づくのは、30歳 過ぎてからだ。  仕事を継いでほしくないと親が思えば、思うほど、子どもは継ぎたくなるようであ る。  午後8時26分。ふうっ! 着いた! 着いた! 東京!  思い切り暑い!  1週間前、東京を出るときは、コート着て、マフラーしても十分寒かったのに、何 で1週間して戻って来たときのほうが暑いの?  って、誰に聞いても答えられるわかじゃなし。  午後9時。この時間からどのお店も開いているわけではないので、青山通りの「な か卯」に寄る。秋の暴飲暴食月間の締めとしては、やっぱりこういうジャンキーな食 べ物で終わらすのが、江戸っ子ってもんだろう! 江戸時代に、「なか卯」は無いよ!  午後9時30分。帰宅。  さすがに我が家がなつかしい。  江戸時代の人は、20日間かけて京都、長崎へは、3ヶ月かけて旅をしたのだから、 私のこの1週間の疲れなんてものは、軽い肩こり程度なんだろうけど、は〜〜〜、楽 だ、楽だ。  さっそく、何より風呂!  自宅の風呂に入るために、旅行してるんじゃないかと思えるほど、私は自宅の風呂 に戻ってくると、いちばん疲れが取れる。  気になっていた体重も、北海道に向うときの体重をそのまま維持! いきなり初日 で、体重を増やした土居ちゃんより、えらい!  この11月の暴飲暴食月間をとうとう五分の星勘定で乗り切ることができたぞ。5 〜6キログラム増えてもおかしくない食べ物ばかりだったからなあ!  きょうはぐっすり寝るぞ! 気を抜かない程度に。この1ヶ月間の京都、仙台、北 海道遠征のあとだけに、気を抜くと、絶対風邪を引く。プロ野球選手と、お相撲さん は、年がら年中、地方巡業して、さらにスポーツをするんだから、ちょっとやそっと の体力じゃ勤まらないわけだよなあ。  ではまた。
 

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