11月3日(金)

 午前11時45分。京都相互タクシーの宮本さんが迎えに来てくれる。
 宮本さんと、京都駅伊勢丹デパート前へ。

 午後12時。先日、帰参を許されたばかりの浪花のダメ男・最古のさくまにあ・ニッ
ポンの係長・戸田圭祐が到着。いつもなら帰参を許されただけで、安心して連絡ひとつ
して来ない戸田圭祐が、こうしてやってくるというのは、世間から見れば、かなりの進
歩といえよう。
 しかし、サラリーマンのくせに、石川五右衛門のように伸びきった頭髪でやってくる
ところが、しょぼくれていて、まだまだである。当分、バツイチのままだな、こりゃ。
ジーパン姿で打席に向う草野球選手だ。

 午後12時30分。嫁と娘が東京から到着。これで本日のメンバー勢ぞろい。
 
 午後1時。まずは腹ごしらえと、一乗寺のおそば屋さん「蕎麦切の塩釜」に行く。何
だか美味しそうな佇まい。生粉打ちせいろが、大盛りと、普通盛りの2人前しか無いと
聞いて、この「ザ・食い道楽ズ」の食欲に火がつく。さらに、嫁が注文した田舎そばが、
品切れと聞くにいたって、本格的にあわてる!
 気がつくと、5人で、生粉打ちせいろ2人前、二八そば2人前、鴨せいろ1人前、も
ち揚げだし1人前、ちっちゃい目の玉子丼2人前、揚げだし玉子2人前を注文していた! 

 しかも、ちっちゃい目の玉子丼というのが、どこから見てもふつうの丼サイズ。これ
では玉子丼を2人前頼んだのと、どこも変わらない。お蕎麦も、東京だと、小さなざる
に、ちょぼちょぼというのに、ふつうサイズが、大盛りの量。大盛りサイズは、堆(う
ずたか)く盛り上がっている。揚げだし玉子も東京の1.5倍。

 あな恐ろしや。5人で目を白黒させながら、必死に食べる。
 お蕎麦というのは、近頃お店によって、1人前の量がまったく違っているので、いつ
も初めて入るお店で困る。写真とか、ロウ細工で量がわかるようになっていればいいの
だが、写真とかロウ細工が出ているお店のお蕎麦は、美味しくないというのが、グルメ
の定説だからよけい難儀する。
 生粉打ち蕎麦より、二八そばのほうが、あっさりしていて、美味しいのが何だか損し た気分。生粉打ち蕎麦のほうが、200円くらい値段が高いのだ。
 午後1時30分。「苦しい! 苦しい!」と言いながら、蕎麦アイスクリームを食べ る恐ろしい娘の食事が終了したのち、いよいよ本日の気分転換ドライブへ。  一体どこへ行くかというと、奈良! 遠いぞ〜!  でも、前から気になっていたものが、奈良にふたつあったので、どうしても行きたか った。昨日、一昨日と、雨に閉じ込められて、むしゃくちゃしていた私としては、派手 な動きで気分転換を図りたいのだ。  で、城陽市、京田辺を抜けて、西ノ京、奈良ドリームランドから、平城京跡へ。奈良 市内に入ってから、渋滞に巻き込まれる。連休の初日だから仕方が無いと思ったのだが、 観光客で渋滞ではなく、大型スーパーへ向う車のための、生活渋滞であった。最近、こ の「生活渋滞」というのが、やたら多い。  東京でも、土日になると、新宿南口が、高島屋デパートの駐車場に向う車のために混 雑して、「高島屋渋滞」と呼ばれている。  午後3時30分。きょう第一の目的がここ、平城京跡。  けっこう生活渋滞のせいで、時間がかかってしまった。  710年、和銅3年、中国の長安をモデルにして作った、あの平城京である。歴史の 教科書でも、最初のほうで、脚光を浴びる、あの日本の首都だ。この平城京が、そっく りそのまま戦後見つかって、以来50年近くにわたって、出土品を調べたり、土器、木 簡、鬼瓦、井戸を調べ上げ、京都御所のような、広大な平城京を再現しようとしている。  その大きさは、東西4.3キロ、南北4、8キロ、の巨大なもの。  何たって、私がいつも京都から近鉄特急に乗って、奈良方面に来ると、車窓から見え る広大な土地に「あれは一体何だろう?」と思っていた場所だ。  昔々、算数の問題で、列車の長さが200メートルあります。その電車が、毎時80 キロのスピードで走っています。いま、45秒で橋を通り抜けました。一体この橋の長 さは、何メートルあったでしょうか?という問題を思い出す。  それほど、この平城京跡は、猛スピードで飛ばす近鉄特急の車窓から、なかなか消え 去ることがないくらい広いのだ。  その平城京跡に、きょうこうして、やっと立つことができた。  広い! 広い! 本当に広い!  東京ドーム何個分なんだろう。その前に東京ドーム1個分って、どのくらいだろう?  いちばん北の場所に立って見渡すと、きょうが曇り空のせいもあって、はしっこが霞 んで見えて、南の朱雀門の位置がわからないほど遠い。
 平城京遺構展示館に行く。
      遺跡の一部をそのまんまの形で、保存している。  よくニュースなどで、「発掘現場からです!」といって、あの頬っかむりをした人た ちが、そ〜っと、そ〜っと、シャベルで、土をどけているあれだ。あれとおなじ風景が 目の前に広がっている。『ドラゴンクエストVII』の古代の遺跡といったほうがわかり やすい人も多いだろう。あの遺跡発掘現場に屋根をつけて保存したのが、この遺構展示 館なのだ。
 井戸なども発掘されていて、その大きさに驚く。  水を供給する管のようなものも復元されているんだけど、今の水道と何ら変わらない システムなのが、おもしろい。  さて、歩こうにも、広すぎて、尻込みどころか、最初ッからあきらめて当然の広さな ので、悔やむことなく、次の目的地に向うことにする。まだまだこの平城京の復元は長 い期間かけて、少しずつ整備されて行くだろうから、また2〜3年したら来てみようと 思う。    今後、復元が進むにつれ、観光客が増大すると思われる場所だけに、今のうちに行っ ておいたほうがいい。とくに天気のいい日は、とてつもなく気持ちいいと思う。  さらに車は、東山魁夷の壁画でおなじみの唐招提寺を抜けて、薬師寺へ。  午後4時30分。薬師寺へ。もうすぐ閉まるというので、駐車場が無料に。急いで、 お寺に向ってくださいと言われて、あわてて足早になるが、足の不自由な私は、足がも つれるだけである。
 なぜこんなぎりぎりになってでも、薬師寺に来たかというと、先日NHKの『プロジ ェクトX』という番組で、薬師寺の大講堂を作った、西岡常一さんという宮大工の人の ドキュメントを見たからだ。  以前から、この西岡常一さんのドキュメントというと、ついつい見てしまう。  西岡常一という宮大工さんに対して、尊敬を形にするなら、1日も早く薬師寺まで見 に来るべきだと思っていた。たしか西岡常一さんは、5年ほど前に亡くなった。  この西岡常一さんのすごい話。  大講堂が完成する直前に、屋根のいちばん先端の部分を10センチずらせと命じたと いう。なぜかというと、1000年後に、屋根の重みが加わって、ちょうど具合のいい 反りかえりになるはずだからという。  1000年後である。自分の仕事を1000年後の人が見ることを想定して作ってい るのである。すごいとしか言いようがない。勢い、手塚治虫さんの『火の鳥』に登場す る我王を思い出す。
 その薬師寺の大講堂を見に来た。  すごいとは思うが、その本当のすごさの1割も気づいていないんだろうなあ。  でもあのドキュメントを見てからでなければ、もっとごくありふれた講堂にしか見え なかったと思う。 「ほう。ここが1000年後に、沈んで、いい形になるのかあ…」とは思ったものの、 1000年後どのくらい沈むのかも想像がつかない。  でも西岡さんがカンナで削った板のハギレが、透明に見える神業をTV画面で見てい るだけに、なんだかわからないが、武者震いする。  まあ、私のことだ。1000年後の未来の人が聞いたら、爆笑するような、だじゃれ のひとつも浮かばないかなあと思っただけだが。  午後5時。ゴーーーーーン! 薬師寺の鐘が鳴った。 「娘よ! 柿食えば 鐘が鳴るなり…?」 「堀井雄二!」 「よーーーし!」  バカなだじゃれ親子である。 「日本海 水平線も 2本かい?」と、このふたつが私の好きな冗句である。  1000年後の人も笑ってくれるだろうか?  さて、帰るか。  帰るわけがない。  この食い道楽家族が、平城京から薬師寺だけ見て帰るなどという、そんな真摯な態度 を1日貫き通せるわけがない。 「宮本さん、薬師寺から、伊賀上野は近いですよね?」 「え〜、伊賀上野ですかあ? 遠いですよ〜?」 「でも、今から行けば、午後7時くらいには着くのでは?」 「まあ、午後7時より前くらいには、着けるかもしれないですねえ…」 「じゃあ、近いや!」    どこがじゃ!  しかしこのメンバー、私が無茶苦茶を言っているのに、誰も反対しない。  すでに、みんなの頭のなかには、伊賀牛が浮かんでいるのであった。  小学校の漢字の書き取りテストで「にく」という問題に「牛」と書いてしまった娘の 目は、すでにキラキラ輝いている。 「あの〜、せっかく帰参を許していただいた上に、きょうも何もお役に立てていないわ てが、いっしょにお肉を食べに行くというのは、どうも気がひけて…」 「そいいう妙な遠慮は大嫌いだぞ、この家族は! 楽しく食べるのが、この家族の生き がいなんだから! 気がひけるヒマがあったら、メールくれた人に、返事を書け!」  もともと、今週ナムコの岸本好弘さんと食事したときに、岸本好弘さんが、日本三大 お肉を食べたというのを聞いたときに、私は、神戸、松阪、米沢よりも、伊賀牛のほう が美味しいと力説してしまったのだ。  力説してるうちに、自分が食べたい衝動にかられてしまう悪い癖が、出てしまった。 まったく情けない性格だ。  というわけで、全員一致で、伊賀上野に向う。  5時を過ぎた名阪国道は、見る見るうちに真っ暗になっていく。  真っ暗どころではない。真の闇に近づいていく。  なるほど、忍者たちが、その住処をここに選んだのが、わかるような闇だ。  午後6時になる前に、闇に包まれて、人家の明かりと、空の星の区別がつきづらくな る。  午後6時15分。みんなの祈りが通じたのか、あっというまに、伊賀上野に着く。も ちろん、行き先は、伊賀牛の「金谷(かなや)」だ。  私はこの「金谷」の網焼きが、お肉ランキングの1位だと思っている。  お肉評論家の娘に言わせば、脂身が多いのと、タレがこってりしすぎてると、手厳し いのだが、私は伊賀牛の甘味が大好きである。  まだスリッパをちゃんとはけなくて困っている私を見て、お店の人が、籐椅子を持っ て来てくれた。  まるで、織田信長に拝謁する、外国人宣教師のようである。  ちょっと偉そう。でも食べやすい。
 火鉢の遠赤外線の炭を見つけながら、肉が焼けるのを待つ。  やわらかい肉が、焼きあがる。  ぺろり。う〜む。美味しいなあ!  タマネギを食べる。甘くて美味しいなあ。  戸田圭祐が「最近ようやっと、野菜が美味しいことがわかって来ました。お肉という のは、すごく美味しいお肉と、美味しいお肉の2種類でっけど、野菜は、美味しい野菜 と、まずい野菜の2種類があると思いまへんか?」  相変わらず心を打つ言葉ではないが、どことなく言いたい事が、かすかに伝わる解説 である。
 いやあ、満足、満足!  あと一切れの肉は、娘に食わせて、私はタマネギを食べて終わりにするぞ。  きょうから、暴飲暴食ウィークが始まるから、緒戦から猛打爆発させるわけにいかな い。ここ2日間の粗食で、1キロ体重が減っているのだ。  おや?  タマネギは、こんなにやわらかかったっけ?  色も黒いぞ! てりてり黒いぞ!  し、しまった!  仲居さんが、お皿に乗せてくれた、伊賀牛を、何の疑問も感じずに、口に運んでいた ではないかあ! いかん、重量オーバーだあ!  ええい。そうカンタンに伊賀上野まで来れないから、いいや!  デブの言い訳はいつも説得力がまるでない。  午後7時30分。さっさと食べて、帰路に着く。  伊賀上野といえば、松雄芭蕉の生家、上野城、鍵屋の辻、伊賀組みひも、ちんちん電 車、伊賀焼き物と、見所はたくさんあるのに、きょうはこの「金谷」に食べに来ただけ! 「食はかすがい」と思ってる、この家族はこれでいいのだ。『天才バカボン』の境地に 達し始めているな。♪これで、いいのだ〜!  午後8時30分。マンドリル頭髪の戸田圭祐を、近鉄祝園(ほうその)駅で降ろし、 そのまま京都へ。大阪へ帰るパパイヤ鈴木頭髪の戸田圭祐は、こっちのほうが近いのだ。  午後9時。なんとこんなに早く京都に着いてしまった。連休だというのに、渋滞なし。 誰も伊賀上野まで行こうとしないからなあ。  早く着いたので、ブライトンホテルでコーヒーを飲んで帰る。  むきーっ! やっぱり体重が増えていた!  日米プロ野球対決のホームラン連発のような、お肉であった。   ああ! 先が思いやられる。
 

-(c)2000/SAKUMA-