7月1日(土)


 晴れた!
 晴れた、晴れた、晴れた! 空が晴れた!
 昼過ぎから、雨の予報が出ていようが、何だろうが、今、目にしている
景色はかんかん照りだ!
「早く旅に出なさい、悟空!」と観音様がおっしゃっているような、蒸し
暑い天気だ!

「行くぞ!」
「ええ〜?」
 驚く、グルメ・バカ娘、嫁を叩き起こし、東京駅へ向かう。
 この時点でも、本当はどこに行くか決まっていなかったりする。

 午前10時。東京駅地下。「資生堂パーラー」。
「着いたら、たくさん食うから、今はつまむ程度にしておけよ!」
「じゃ、パンケーキ!」
「十分重いじゃないかあ!」
「腹減ったよ!」
 グルメ・バカ娘がお腹を空かせているのは、いつものことである。
 けっきょく、3人で、サンドイッチに、パンケーキに、コーヒー。

 午前10時32分。やまびこ123号。
 きょうは那須に行く。
 実に20年ぶり。厳密にいうと、28年ぶり。いや、最初から那須と私
との因縁を語っておこう。
 因縁と言い出すくらいだから、きょうの日記は長い。
 時間の無い人は、先に仕事を片付けたほうがいい。
 読み切れないと思う。
 私もへばりまくっているので、書き切れるか心配だ。

 私が最初に、那須に行ったのは、36年前。小学校の疎開先…ではなく、
林間学校で行った。ダメだよ、私が戦争体験者だと思い込んじゃあ。でも
この小学校6年の林間学校で行った年は、東京オリンピックの年だったこ
とは紛れも無い事実である。
 当時那須まで4時間もかかる、東北本線のなかで、私は軽快にギャグを
飛ばしていた。
 もちろん小学生が作るギャグだから「那須に行ったら、ご飯に茄子(ナ
ス)しか出ないぞ!」というたわいの無いものだった。しかもこういうギ
ャグを言うやつにかぎって、本当は茄子(ナス)が嫌いだったりする。
 私もそうだった。ナスが嫌いである。今は大好きだが。

 そして、その小学校6年の林間学校。本当に毎日、毎日、毎日、ご飯に
ナスが出たのである。シャレになりまへんがなあ!
 ナスの味噌汁に、ナスの炒め物、ナスのお漬物、最終日など、ナスのク
リームシチューと白いご飯だけである。私は食べられなくて、3日間だっ
かなあ。空きっ腹で目を回した。
 唯一2日目だったか、子どもの顔の大きさぐらいのにぎり飯が出たが、
それを持って、標高1915メートルの茶臼岳に登らされた。
 そのおにぎりも死ぬほど酸っぱくてどでかい梅干が入っていた。
 真夏なのに、八甲田山の行軍である。

 以来、私はすっかりナスが嫌いになった。

 それから8年後、20歳になった私は、貸し別荘のふとん運びのバイト
で、那須に20日間滞在した。
 そのときもまだ、ナスは苦手であった。
 しかし、バイト先だ。毎日ナスだけということはあるまい。
 毎日ナスということはなかった。
 それどころか、バイト初日に、九尾(きゅうび)の釜飯が、出たのであ
る。釜飯は私の大好物であった。素焼きの陶器に、かやくご飯。ゴボウ、
シイタケ、タケノコ、鶏肉、なぜか杏子(あんず)が入って、白いうずら
の玉子が美味しい釜飯である。

 ちなみにこの「九尾の釜飯」。東京駅の地下の私たちがきょうも入った
喫茶店「資生堂パーラー」の前でも売っている。
 食べたくなった人は、ぜひ東京駅へ。

「しかし、お金(バイト代)までもらえて、釜飯まで食べられるなんて、
楽園だね〜!」
 いっしょに行った友人2人と語り合った。
「釜飯、もう1個食べるか?」
 現地のおじさんがそう言ってくれた。
 3人とも、もちろん食べた。
 大学生の頃である。いくらでも食べられる。

 翌日の朝。朝食に釜飯が出た。
 ありゃ、また釜飯かいな。
 まあ、こういう別荘を売る仕事というのも、華やかそうに見えて、内実
はつましいもんなんだなあ。昨日の残り物が出てしまうんだなあ。でも
ちゃんと温かくしてくれてるじゃないか。やさしいなあ!
 電子レンジなど無い時代である。
 温かい食べ物にするのは、大変なもてなしなのである。

 お昼。焼き魚にご飯が出た気がする。
 夜。また釜飯が出た。
 おんや? これはちょいと変ですぞ。変ロ単調ですぞいっ?

 翌朝、朝食に釜飯が出た。
 昼飯、忘れた。
 夜、釜飯が出た。

 翌朝、朝食に釜飯が出た。
 昼飯、忘れた。
 夜、釜飯が出た。

 ここで気づいた。到着した翌朝に出た、温かい釜飯は、黒磯駅から届い
た、新着の釜飯であったことを。
 牛乳屋さんが毎日届けてくれるように、毎日釜飯を届けてくれるシステ
ムになっているのだ。1日2便の。とほほ…。

 あいやあ! まさかこれから約20日間、毎日釜飯を食べるんじゃない
だろうなあ。
 食べた。
 毎日、食べた。
 1日2回ずつ食べた。
 毎日、味噌汁の具が変わるのだけが楽しみになった。
 
 社員の人は平気なのだろうか。
 平気なのである。
 社員の人は、東京で営業していて、別荘が欲しいという人がいれば、連
れて来る程度だから、たまの釜飯なのである。
 私たちのように、毎日ではないのだ。
 ましてや、お客様にとっては、釜飯のサービス付きである。 

 夜、寝るときに、友人がつぶやく。
「ギョーザが食べたいなあ!」
「言うなよ!」
「ラーメンが食べたいなあ!」
「言うなよ! ごくり!」
「だって、毎日釜飯だぜ!」
 だったら、コンビニで何か買って食べればいいではないか!
 昭和47年。この世にコンビニはまだ無い。
 しかも、ここは高原の別荘。
 まわりに何も無い。
 あるのは静けさだけである。

 駅まで歩けるような距離ではない。
 今回地図帳で測ってみたら、約20キロであった。
 20キロといったら、マラソンでいえば、折り返し地点。東京駅から、
吉祥寺、三鷹を越えて、ほぼ立川駅ぐらいの距離である。
 バスなど通ってるわけもない。別荘なのだ。
 全員20歳になったばかりだ。
 免許も無い。
 私が唯一、仮免許を取ったばかりだ。何の役にも立たない。
 立たないどころか、ふとん運びのバイト中、小さなトラックを遊びで
運転させてもらって、ドブにはまって、大騒ぎになったことがある。ド
ブの向こうは崖だった。

 おまけに大学生3人、バイトをしに来ているくらいだから、所持金など
ほとんどない。最終日にならないと、まったくお金がもらえないとは思っ
ていなかったのである。
 アメリカでは、週の最後の日にお金がもらえると言っても、なんぼのも
んじゃいである。こっちの人は、みんなつぶやきシローくんみたいなしゃ
べり方をするだけである。
 とても無心などできない。

 かくて、大学生3人。20日間のバイトで、計41個の釜飯を食べて、
釜飯が大嫌いになったのである。
 
 さらに2〜3年後。
 まだあるんかい? あるのだ。
 さすがに三度目だ。たいした話題ではない。

 業界に入りたての頃。当時早稲田大学の漫画研究会は、この貸し別荘の
先にある那須ロイヤルセンターに、泊り込みで似顔絵描きのバイトに来る
のが恒例になっていた。

 あの『ドラクエ』の堀井雄二も、土居ちゃん(土居孝幸)も、このバイ
トをした。代々、早稲田の漫研の人間に出会ったら、那須ロイヤルセンター
の「ファンタラマ!」というキーワードを言うだけで、打ち解けるという
くらい、各世代鮮烈な印象を持っている。

「ファンタラマ」というのは、室内遊園地の目玉アトラクションで、ごと
ごと揺れながら動くだけのせこい乗り物だったと思う。
 そのすぐ前で、机を出して、堀井くんや土居ちゃんは、1日じゅう似顔
絵描きのバイトをしていたのである。
 しかも1日じゅうだから、この「ファンタラマ」というせこい乗り物の
音楽、♪ファンタラマ〜、ファンタラマ〜というメロディが頭にこびりつ
いたのである。
 私は大学生のバイト中のときに、ここに来て、もちろんこの曲を聴いて
いる。強烈な趣味の悪い曲である。
 
 さて、私は大学を出た直後に来たのだと思う。
 私は他校だったので、確か堀井雄二、えびなみつる、大川清介といった
メンバーのバイト中を陣中見舞いに行ったのだと思う。
 車マニアだったので、愛車スカイライン2000GTを飛ばして、那須
まで来たのだろう。
 だいぶん記憶が曖昧であるが。

 このとき、堀井雄二たちの宿舎に泊めてもらった。
 部屋が広いから、何人でも泊まれるのだ。
 しかし、夜明けまで、語り明かそうとして、午前0時になったとたん、
いきなりブツンと電気が切られて、真っ暗闇になったことを覚えている。
まだパジャマに着替えていないやつもいたと思う。

 そんな那須に向かって、今、新幹線に乗っている。
 長すぎるイントロだ。
 いい思い出が少ないようだけど、嫌な思い出ほど、のちのち楽しい話題
となるものだ。

 今でも堀井雄二、大川清介たちとの宴会では「ファンタラマ」を合唱す
る。
 20日間釜飯ばかり食べたふとん運びのバイトも、3人で毎日陶器の釜
飯を壁に投げて、割ってはストレスを解消したことが今は懐かしい思い出
だ。

 先日、たまたま新作『桃太郎電鉄』を作っていたところ、インターネッ
トで、この貸し別荘のバイトをした場所にぶち当たった。
 無性に那須に来てみたくなったのである。
 しかも、その大学生でバイトに行ったとき、やっぱり「別荘」という単
語は、お金持ちの象徴でだった。
 私は将来、ここの別荘を買えるくらいのお金持ちになりたいと強く思っ
たことを思い出したのあった。
 バブルを過ぎて、今は別荘の値段が、バブル当時の80%OFFくらい
の値段になっているらしい。 
 きょうは、ひょっとすると、別荘を買ってしまうかもしれない。

 午前10時32分。やまびこ123号は、那須塩原駅に着く。
駅
   まだ午前中なのに、こんなに読ませてしまって、すいませんですのー。 「さくちゃん、この新幹線、仙台まで行くの?」  グルメ・バカ娘が私に聞いてくる。 「おお! 車体に仙台と書いてあるから、仙台止まりだな。東北新幹線は 盛岡まで行く車両が多いけどな」  「じゃあ、この新幹線降りなかったら、仙台牛が食べられたってこと?」 「バカ言ってんじゃないよ! 東京から、那須塩原、さらにおなじくらい 乗って行かないと、仙台に着かないんだから。きょうは、お父ちゃんの 『那須思い出の旅』を満喫するの!」  ほとんどきょうの旅行は、よくTVのドキュメントで、有名人が昔の懐 かしい場所が今どうなってるか探し歩く番組みたいなものである。どこか らもそんな依頼が来ないので、勝手に自分でやる。  もうこれから依頼が来ても、驚く表情などできないぞ。きょうたっぷり 驚いてしまうからな。  駅前で、タクシーに乗って、まず黒磯駅に向かってもらう。  私が貸し別荘のバイトをしたときは、もちろん東北新幹線なんて走って いなかったから、黒磯駅のほうが、懐かしの旅の出発点なのである。  道すがら、タクシーの運転手さんと、那須の昔談義。  どうも那須はすっかり変わってしまっているらしい。  28年ぶりだからなあ。  午後12時。黒磯駅に着く。  昔の黒磯駅がどんなだったかまったく思い出せないくらい変わっていた。 「運転手さん、駅前に九尾の釜飯を売っていたお店ありませんでしたか?」 「ありましたよ。場所変わりましたけど」  駅から少し離れたところに、工場というか、製造所が移って、駅前には、 立ち食いそばも食べられるようなお店が残っているだけであった。  早くもひとつ記憶が消えた。  過去より、未来が圧倒的に多いグルメ・バカ娘は、私の感傷などお構い なしに、「明治屋の温泉まんじゅう」の看板を見つけるや 「きっと美味しいよ!」と、さっさとおまんじゅうを買いに行く。  薄皮まんじゅう風のなかなか美味しいおまんじゅうであった。  って、私も食べてるじゃん!
まんじゅう
   そのまま、那須温泉に向かって、那須街道を北上してもらう。  東北自動車道を越える。  もちろん当時、高速道路も走っていなかった。  おお! なつかしい並木道だ!  ここの雰囲気は覚えているぞ。紫陽花の道だ。  でもきょうの紫陽花は、蒸し暑さにへたりまくっている。  しかも街道沿いには、なんという看板の多さだ。  国立公園なので、案内板が茶色に統一されているけど、いつのまに、何 でこんなに博物館だらけになっちゃったの?  トリックアートの館、那須テディベアミュージアム、那須オルゴール館、  ダイアナガーデン那須クィーンズ美術館、那須クラシックカー博物館、  アンティークジュウリー美術館、スーパースター博物館、SLランド、  戦争博物館、大相撲資料館、木の博物館、那須ステンドグラス美術館、  3D宇宙・恐竜館、エミール・ガレ美術館、那須ヨーロピアンランプ館、  那須町民族資料館…。ほかにもあった気がするが、きりがない。  間違いなく、28年前には、1軒もなかった。  ひたすら緑色の濃い、並木道が続いているだけだったはずである。  あっ。やっと左側に覚えているガソリンスタンドが見えて来た。  ふとん運びのバイトのとき、トラックを運転していたおじさんがいつも ガソリンを入れに来たスタンドだ。  私はいつもふとんといっしょに、荷台のほうに乗っていた。  あのおじさん、どうしてるだろうなあ。  東京で作詞家をめざしていて、作詞家になれ切れずに帰って来たという 話を聞かせてもらったっけ。私も当時、ひそかに作詞家になりたいと思っ ていた。  だからそのおじさんとはよく話をした。  まるで針の穴から、作詞業界の話を覗きこむかのように、必死に聞き出 したような気がする。  後年、私は一応、作詞家にはなることができた。    50曲くらいレコードになった。  自分のアニメ番組の主題歌を作詞したおかげで、少しは思い出になるよ うな作詞家になることができた。  もうあのときのおじさんはいないんだろうなあ。  顔もすっかり忘れてしまった。   おっと、『こち亀』の両津さんのレトロ話みたいになってきてしまった。  先に行こうか。  街道沿いは次第に、別荘販売会社だらけになって行く。 「別荘地」「別荘950万円から」「リゾートライフ」「別荘販売」 「ログハウス」といった幟(のぼり)が立ち並ぶ。  まるで関が原の合戦に参戦した諸大名のように、おびただしい数の のぼりだ。  もちろん、28年前には、1本も立っていなかった。  午後12時30分。南が丘牧場。  バイト先から、何10分も歩いてやってきたことがある牧場だ。  タクシーの運転手さんに言わせると「いちばん変わっていない場所」だ という。これは思い出が期待できる。  あれ〜? こんなにこの牧場大きかったかなあ?  どうやら、運転手さんが知ってる古い記憶の頃よりも、もっと昔に私は この近所にバイトに来ていたようである。    グルメ・バカ娘の目が輝く。  フランクフルトの文字を見つけるや、買いに行って、パックマンのよう にばくばく食べる。テーブルに座っていると、バイトのお兄ちゃんが、か ごを携えて、おにぎりを売りに来る。  もちろん、買うグルメ・バカ娘。エンジン全開である。
南が丘牧場 南が丘牧場 南が丘牧場 南が丘牧場
    休む間もなく、ソフトクリームを食べる。  牧場の奥にある、乗馬場とか、羊のいるところに、なかなかたどりつか ない。途中ですぐ食べてしまうからだ。  そういえば、28年前、釜飯ばかり食べていたときに、脱走兵のように この牧場まで歩いてきて、食べたピロシキが美味しかったのを覚えている けど、売っていないのかなあ?  金銭的にもピロシキくらいしか買うことができなかったのだ。  あっ! あった! えっ!? 「ぺロシキ」?  看板には間違いなく「ペロシキ」の文字が。 「ピロシキ」じゃないの?  ペリー提督を、ペルリー提督というようなものか?  さっさとグルメ・バカ娘は、ペロシキと牛乳と、コーヒー牛乳を買って いる。牛乳はガンジー種とかいう牛の牛乳だそうだ。  ペロシキは?
南が丘牧場
    へっへっへ。聞くだけ野暮。あのときのひもじい思いで食べないと、美 味しくは感じられないね。ほとんど学食の味だ。  と思ったところへ、あれだけ蒸し暑く快晴だった天気が一転、どしゃぶ りの雨になった。  うへ〜。みなさん、必死に雨宿りに走る。  なかなかやまない。  私たちもタクシーのところまでも、戻れない。  売店で、傘を買う。  アイスドラ焼きを買うことも忘れない。  売店にいても、異常な湿気と、さっきまでの熱風のせいで、身体がずし りと重たくなる。  いつまでたってもやまないので、どしゃぶりの雨の中、南が丘牧場を後 にする。  車は5〜6分走って、平和観光別荘販売センターの前に。
平和観光 平和観光
    私が28年前、20日間ふとん運びのバイトをした場所にたどり着いた。 しかもすでに、滝のような雨。  映画の豪雨のシーンのような雨だ。 『台風クラブ』か『七人の侍』のような豪雨だ。  って言い方して、喜んでくれるのは、東武練馬の太った映画狂人くらい なものか?  かつてあった「管理センター」の文字があったものの、看板も違えば、 まったく違う建物になっていた。  管理センターに入り、なかの人にあれこれ聞くが、かなり長く勤めてい るおにいさんより、やっぱり私がバイトしていた時期のほうが、圧倒的に 古いようだ。  逆に「え〜? 手前にあるホテルは28年前にはなかったですか?」と、 聞き返されてしまう。  またしても、まったく思い出は戻らない。  那須塩原の駅を降りてから、まだガソリンスタンド1軒しか、思い出を 取り戻せていない。  しばらく雨宿りさせてもらうが、何も思い出せないので、でかける。こ れからとっておきの場所に向かうのだ。  堀井雄二、土居ちゃん(土居孝幸)たちが、似顔絵描きのバイトをして いた那須ロイヤルセンターに行くのだ。  これはもう切り札だよ。  あの陳腐な乗り物「ファンタラマ」が待っているはずだ。  今回「ファンタラマ」をデジカメして、堀井雄二と土居ちゃん(土居孝 幸)にメールで送ってあげようという使命も帯びている。平和観光でのバ イトの思い出は取り戻せなかったけど、その分那須ロイヤルセンターで、 全部取り戻そう!  台風のなかを走るように、タクシーは那須ロイヤルセンターに向かう。 「お客さん、ロイヤルセンターに向かう道に、料金所があったの覚えてま すか?」 「あっ!」  覚えてる。間違いなくくっきり覚えている。 「あの料金所もなくなっちゃったんですよ!」 「へ?」  へなへなへな…。またしても重要な手がかりが…。  ああ! でも那須ロイヤルセンターが見えて来たぞ!  ずいぶんと建物古くなっちまったなあ。  何たって20年以上も経ってるんだからな。  ああ! やった! あの建物の上!  間違いなく「ファンタラマ」の文字が!  古ぼけてはいるものの。「ファンタラマ」と読める!  やったあ! やっぱり那須は「ファンタラマ」を抜きに語れない!
★カーソルを画像にもってくるとアップになります。
    「何? この建物? さくちゃん、やってるの?」とグルメ・バカ娘。子ど もは残酷な言葉を吐く。 「営業中と書いてあるじゃないか!」  たしかに外から見たら、廃墟のようだ。  でも仕方無いよ。いつまでも活気のある遊園地を続けるのは至難の業なん だから。20年間ずっと変わらず繁栄するなんて、東証一部上場の企業だっ て、ありえないんだから。 「さ、降りて、入ろうよ!」 「え〜。本当にそのファンタラマってあるの? とてもあると思えないよ〜!」  たしかに、建物の玄関にある案内板には、ほとんどのアトラクションには 「休業中」の文字が。 「さくちゃん、行って聞いて来たほうがいいよ。ファンタラマやってるかど うか!」  嫌な予感がして、キップ売り場に行く。
ロイヤル ロイヤル
   「あの〜、ファンタラマってまだありますか?」 「もうやってませんよ!」 「えっ?」  そ…、そんな…。 「この建物のなかに、残ってないんですか?」 「ないです!」  う〜む。ガラガラとすべての思い出が消えていく。 「ファンタラマの前に机出して、似顔絵を描いてた学生がいたのを覚えて ますか?」 「あ〜、いたいた!」  やっとおじさんが笑った。  堀井くんに、土居ちゃん、覚えてるってさ! 名前や顔までは覚えてい ないだろうけど。  すごすごと、タクシーに戻る。  帰り道、みんなで泊まった宿舎を発見。  一応、デジカメする。  あの午前0時とともに、照明を切られたあの宿舎だ。  午後1時30分。再び、平和観光の別荘地街へ。  私がふとん運びをした場所を回ってもらう。  まったく面影が無い。  雨はだいぶ小振りになって来た。  ひとつも覚えている別荘はなかった。  おまけに、運転手さんが道に迷った。迷うよ、この広さと似た建物の連 続は!  嫁は、きょうここに私が来たら、きっとこの場所の別荘を買いたいと言 い出すと思っていたそうだ。  昔の意志に対しては私が非常にしつこいことを熟知している。  でなければ、私のような変人と結婚しない。 「さくちゃん、ここの別荘買うの?」 「買わないなあ。まったく思い出が取り戻せないんだもん。  初めて来た場所だよ、これじゃあ!」 「けっこう私は好きだよ!」 「やだよ。こんなところでひとりで『桃太郎電鉄』の仕様書を書くの。寂 しすぎるぞ! 徒歩じゃ、どこにも行けないし。それより新幹線でわずか 1時間だ。来たくなったら、新幹線で来て、日帰りすればいい。ホテルも きれいなのがあるようだし。別荘は面倒だよ! さあ、帰ろう!」  午後2時30分。「お菓子の城」というところに寄る。いかにもグルメ・ バカ娘が寄りたがるような場所でしょ?  お菓子を作ってる製造工程を見ることができるのはよかったけど、それ 以上見るべきものは何も無い。
お菓子の城 お菓子の城
   「萩の月」とまったくおなじ「那須の月」。あきらかに「赤福餅」な「那 須福」と、ちょっと恥ずかしいお菓子ばかり。  午後3時。那須塩原駅。さっさと東京に帰ろう。  しかし、このいきあたりばったり家族が、こんな早い時間におとなしく 東京に帰るはずがない。  先ほどの「お菓子の城」あたりで、母子は、那須塩原から新幹線で、北 に1時間くらい走れば、仙台に着くことに気づいてしまっていた。  まさか、これから仙台まで行くわけないでしょ!  どこに、那須の帰りに、東京と反対に向かって新幹線に乗るやつがいる!?   いた! ジャジャーーーン!  信じられないよ〜!  おいおい。2週間後、土居ちゃん(土居孝幸)と仙台行こうよって話を したばかりだぞ〜。土居ちゃんをど〜するのよ。 「また2週間後も行けばいいんじゃない」  恐ろしい親子だ。   しかし、事態は面倒なことに。  現在午後3時。  仙台行きの新幹線は、午後4時56分まで無い! 「ぎょえ〜〜〜! 2時間も待つんだぞ〜! 待ってる間に、東京まで帰 れるぞ〜!」 「6時30分くらいには、お店に着くんじゃない?」  ダメだ、こりゃ。食に貪欲な親子は、すでに獲物を見つけたときの獅子 と化していた。ガオ〜〜〜!  しかも執念が、時間まで捻じ曲げる。  念のため、みどりの窓口で聞いた。 「いちばん早く仙台まで行く方法無いですかね?」 「郡山で乗り換えればありますよ」  あることになっちゃうわけだ。  これがグルメ・バカ娘がいるときの、特殊効果なのですよ。必ずピンチ が解消されて、食べやすくなってしまう。  本当に食べ物の神様がこいつにはついている。  14歳になったのだ。食べ物以外の能力を身に付けてくれよ〜。  午後3時54分。なすの241号で、郡山に向かう。  車中、親子は熟睡。  熟睡までして、仙台へ向かうか?  午後4時24分。郡山駅着。  待合室で待つ。  待合室で待ってまで、仙台へ行くか?  待合室で私に寄りかかって熟睡してまで、仙台へ行くか? 「釈迦に説法」であろう。
待合室
    午後4時39分。やまびこ45号で、仙台に向かう。  車窓からの景色がどんどん良くなって行く。  午後5時19分。仙台駅着。  みごとな時間に着くものだ。少し時間に余裕ができてしまった。  1番町の商店街で、なぜかこの家族は嬉々として、洋服を買っている。 仙台まで来て、洋服を買うか? しかも東京の近所にあるカステル・バジ ャックで。  バーゲンなのである。女はバーゲンの文字に弱い。  私も1枚ポロシャツを買ってもらう。  喜んで、ど〜する。  午後6時。やってきました!「大胡椒(だいこしょう)」!  この家族が、那須塩原から、東京に戻らず、わざわざ反対方向に向かって 行ってしまうお店とは!  グルメ・バカ娘に、「夏休みどこ行きたい?」「仙台牛!」「それは地名 じゃねーだろ!」とまで言わしめたお店とは!  昨年の7月30日以来、約1年ぶりのステーキ屋さん「大胡椒(だいこし ょう)」に早くも興奮である。
大胡椒
    グルメ・バカ娘にとって、仙台は、伊達正宗でもなく、牛タンでもなく、 ずんだ餅でもなく、「大胡椒」の牛である。  店内に入る。
大胡椒
    お、いきなり、昨年も接客していただいた佐々木さんだ。  仙台の佐々木さん。  これを横浜ベイスターズ・ファンの耳元でささやけば、きっと「ええっ!?」 と言いながら、目が輝くに違いない。  横浜ベイスターズにとって、仙台は、伊達正宗でも、牛たんでもなく、 東北福祉大学なのである。斎藤隆投手であり、中根外野手であり、あのマ リナーズの佐々木主浩投手なのだ!  阪神の矢野捕手が、東北福祉大学出身というだけで、少し応援してしま うのだ。  それもこれも横浜ベイスターズ史上、最高のプレイヤー・佐々木主浩投 手の出身地だからなのである。  だからもう、仙台の佐々木さんと言えば、佐々木様と呼ばねばならない のだ。
大胡椒
    いきなりその佐々木様から「昨年のインターネット、見させていただき ました!」と言われる。  ぎゃん! 覚えているどころか、本当に見てくれたんだ。嗚呼!   恥ずかしいことをいっぱい書いていたような気がする。 「ここに来る前に、会津で水そばを食べてらしたですよね!」  おお! 1年前のお店以外の記述まで覚えている。  う〜ん。えらいなあ。やっぱり美味しいお店は、店員ひとりひとりが接 客の達人だなあ。美味しいお肉は、お金を積めば、買って来れるけど、人 間はお金だけでは買って来れないからなあ。  「ふに〜!」「ふに〜!」  さっきから変な音がする。 「ふに〜!」「ふに〜!」  何だ? この猫のようなハムスターのような鳴き声は?  グルメ・バカ娘か!
大胡椒
    見よ! この顔を!  満悦、嘉悦、歓喜、狂喜、欣喜雀躍、喜色満面、法悦、愉悦、欣快、快 哉の顔を! 「さくちゃん、しあわせ!」  あたりまえだろ、こんなところまで寄り道して来て、牛肉を食べる家族 がどこにいる!  ああ! 前菜のサラダの美味しさよ。  炒り胡麻と、りんごのスライスと、キャベツの相性の良さよ!  このお店とこの家族の相性はもっと良いようだが…。
大胡椒 大胡椒
    炭火の網に、仙台牛が乗る。  グルメ・バカ娘の顔がほころぶ。  わさび醤油で、胡椒で、マスタードで。どれで食べてもおいしゅうござ います。 「さくちゃん、このお店、柴尾さんと、成沢親分といっしょに来るといい お店だと思わない?」 「誰と来ても、美味しいんだろ! おまえは!」  中学2年生ともなると、悪知恵がつき始めて、美味しい物を食べるため に、プランを練り始めるのである。  このグルメ・バカ娘の頭には、牛肉に加え、美味しい冷酒と、ワインが あるということから、柴尾くんと、成沢くんなら「行きたい!」と言い出 すことを計算しているのだ。  しかもあのふたりなら、無謀好きだから、そんなに遠くない時期に来て しまうだろう。ゆえに、自分はまた近々ここの牛肉が食える。  こういう頭なのである。おまえは牛肉業界のカントか、ヘーゲルか!  弁証法か!  出た、出た!  このお店最大の特徴。ガーリックライスを海苔で巻いて炭火で焼いたも のを食べる。  香ばしいのだよ、醤油の焦げた匂いが、ぷう〜〜〜ん!
大胡椒
    これが食べたいがために、このお店に来るのだ!  ああ! 天に昇っちまったよ〜!  愉悦、悦楽、快楽、享楽、壺中の天地。  有頂天とは、仏教の世界で、欲界、色界、無色界の三界のうち、色界の 最上位にある天で、肉体を持つものが至りえる最高の境地なり。  ああ! 有頂天〜。  んが! 一大事!   何?  こんなに美味しい牛肉をわずか30分で食べ終えてしまったあ!   もっとゆっくり味わいながら食べるべきであった…。  何が一大事なんだ!  プロレスラーが鎖でダンプカーを引っ張るくらい、後ろ髪を思い切り引 っ張られながら、店を出る。  いきなり店を出たとたん、八百屋で、山形名産さくらんぼを買う母子。 恐ろしや。    午後7時26分。やまびこ102号。仙台を発つ。  ホテルに泊まるんじゃないんかい、この家族は〜!  仙台滞在時間2時間に満たず。  プロ野球の試合だって、めったにこんな終了時間はない。  本当にこの家族、「大胡椒」のお肉のためだけに来たのである。  午後9時44分。東京駅着。  午後10時。帰宅。  いつまでもこういう馬鹿をやり続けたいものである。  夜中。「大胡椒」の佐々木様が「夜食に!」と作ってくれた、ガーリック ライス海苔巻を、『カウントダウンTV』を見ながら、食す。   冷えても美味しいなあ。  あっ。サザンオールスターズが出ている。そういえば、カズ坊(関口和之) にまだこのお店教えてなかったなあ。    カズ坊(関口和之)を口実にまた「大胡椒」に行くか。  それって、グルメ・バカ娘の計算とまったくおなじじゃないか! 「語るに落ちる!」 「策士、策に溺れる」  いずれも好きな言葉である。チャンチャン! 嗚呼、満喫の一日。
 

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