3月3日(金)珠洲〜山中温泉


 昨夜、午後11時30分。
 あまりの寒さに、目が覚める。

 布団に入っていても、首筋から、シベリア寒気団のような冷気が
入り込んでくる。
 ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、グゲッ!
 次第に咳の仕方も、悪化している。
 そりゃそうだろ、こんな寒さじゃ!
 正岡子規の晩年の咳き込む苦しさは、こんなもんじゃなかったん
だろうけど、今の自分にはおなじくらいの苦しみだ。

 寒い、寒い、ゴホッ、ゴホッ、寒い、寒い!
 のどフレッシュを大量に、喉の奥に吹き付ける。
 1分ほどだけ、喉の炎症が鎮まる。
 そして、また…。
寒い、寒い、ゴホッ、ゴホッ、寒い、寒い!
 眠むれない! 寒い、寒い、寒い、寒い!
ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!

 とにかくこの繰り返ししかできない。
 布団の側を、小さな虫が歩いている。虫が歩いていることが、全
然不思議じゃない宿だ。
 黒と白のコントラストのきいた建物だから、デジカメで撮影する
と、風情満点の部屋にしか写らない。
 写真は、風がなければ、寒さを映し出すことができないからね。

 夜中に入って、10分程度寝ては、寒さにじっと1時間ほど耐え
るパターンの繰り返しに苦しむ。
 朝食の午前8時が、3日後の朝に感じるくらい、待ち遠しい!

 待ち遠しいどころではない!
 次第に、「朝食はいいから、タクシーを呼んでくれ!」と叫びた
い気持ちを抑えられなくなってきた。
 実際この時点で、そこそこましなホテルがあったら、今からでも
移りたいくらいだ。

 くらいではない!
 本気で思い出している。
 その反面、朝食で、宿の人と対決して、なおも口の聞き方がひど
かったら、暴れるという方向に気持ちは少しずつ傾いて行った。

 何度も、嫁から「どうするの?」と聞かれたが、何も答えること
ができなかった。人間、怒りすぎると、どう行動していいのかさえ
わからなくなっている自分がいる。

 午前7時。1時間前だが、洋服に着替えて、囲炉裏の前に座る。
 布団の中で眠れない苦しみよりも、少しでも暖を取りたい。
 炭がほとんど消えかけていて、なおも寒い。

 あとから部屋から降りて来た、嫁の目が吊り上っている。
 嫁も怒っているようだ。
 傍らの炭を、大量に囲炉裏にぶち込み始める。
 私もいつでもケンカしてもいい覚悟をする。
 どう考えても、ひどすぎる。

 午前8時。ついに朝食がやってきた。
 決戦の火蓋が切られた。
 戦は、最初に打撃を与えたものが、圧倒的に強い。

 私より2〜3歳くらい上のオーナーが出て来た。
 私とおなじように、手足が不自由だ。
 程度は、私よりひどい。
 身体の障害というのは、完全なる絵札だ。
 私も極力この絵札はつかわないようにしているが、これ以上の必
殺技はないことは、よく知っているつもりだ。

「どうですか? さくまサン、寒かったですか?」
 手足の不自由なオーナーが、震える手で、囲炉裏に網を張り、魚
を置いて、炙る。
さかな
    「寒いですよ! 暖房器具ってないんですか!」 「すみません。無いんです! 考えます!」  私の負けである。  昨日接客した若い女性は、私たちに「寒いですか?」のひとこと も言わなかった。  ましてや、私たちに向かって、名前で呼ぶことさえしなかった。  いい料理屋の鉄則は、お客さんの名前を呼ぶことである。  さらに、手足の不自由なオーナーが、囲炉裏で、震える手で、海 苔を炙る。香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。  パリパリと音を立てて、私は海苔を食す。  この手足が不自由なオーナーは、トランポリンで頚椎を傷めて、 手足が不自由になったという。こっちも脳内出血の話をする。同病 相憐れむに入ってしまったら、何も文句を言えなくなってしまった。  魚と海苔を食べたせいで、身体も温まってきた。  オーナーは、原宿によく来るという話も始めた。  住所を見て、話題を予習していたのだ。  この苦労を知ってる者を、攻撃する気になれないよなあ。  また料理も美味しいしなあ。
朝食
     たいした献立ではないけど、私の好きな玄米ご飯を、オーナーの お母さんが運んで来るしなあ。  このお母さんが、息子さんが怪我したときの話を涙ぐみながらし てくると、つらいよ。  戻ってきたオーナーは、外国人さんに一生懸命たどたどしい英語 でしゃべりかけてるもんなあ。  真摯とか、誠意を武器にしている人は、強いよなあ。  聞けば、外人さんは、東京に住んでいて、しかも広尾だというで はないか! うちから道路1本で繋がってるぞ。  私もたどたどしい英語で、「広尾にプティ・ポワンという美味し いフランス料理のお店がありますよ!」と言ったのだが、ほとんど 伝わっていなかったようだ。  暴れるつもりが、なかよくしてどーする!  けっきょくは、人の善し悪し、物の言い方ってーもんですなあ! 素直に謝る心。  小学生の頃から、校長先生代わっても、おなじこと言ってたもん なあ。ただし「S」に着いたときから、この手足の不自由なオーナ ーが出て来てくれれば、印象はずいぶんと違ったと思うし、再度「寒 い!」ことを伝えて、対策を練ってもらうこともできたはずだ。  教訓:寒い地方の人は、寒いのが平気。
☆☆☆☆☆
 午前9時。タクシーを呼んでもらって、珠洲ビーチホテルへ。  コーヒーが飲みたかった。  きょうもびっくりするくらい、いい天気。  風さえなければ、コートもいらなそうだ。  運転手さんに、珠洲駅10時10分発の電車に間に合うようにと お願いする。そうしゃべっているうちに、きょう最初の目的地・七 尾駅まで、この電車で行くと、3時間近くかかるという。
珠洲
    「タクシーで行くとしたら?」と聞くと、「1時間くらいすかねえ!」。  東京ならお客さん欲しさに嘘をつく運転手さんが多いけど、地方 の運転手さんはほとんど間違い無く親切だ。  もちろん頼む。  これじゃ、電車が廃線になるのも無理ないよなあ。  輪島まで、特急のサンダーバードが乗り入れていれば、もう少し 輪島駅の命は延びていたような気がする。  珠洲ビーチホテルでカフェオレを飲む。  ようやく携帯電話は繋がるようになったけど、インターネットは まだ繋がらない。PHSは弱し!  けっきょく昨日泊まった「S」に対する印象は、30%以上回復 したのだが、この珠洲ビーチホテルが、こじんまりと瀟洒なので、 もし仕事で珠洲に来ることがあったら、このホテルにしてしまうだ ろうなあ。  気持ちは戻っても、あの寒さは語り尽くせないものがある。  タクシーは一路、七尾駅に向かって走り出す。  珠洲道路というほとんど高速道路のような道を、快適に進む。  寝ていなかったので、猛烈な睡魔に襲わされる。  襲ってちょうだい。眠りたかったんだから!  午前11時15分。うお〜、よく寝たあ! 気持ちいい〜!  おお! 本当に1時間で、七尾駅に着いた!  ひさびさに見るでかい町だ!
七尾
     ファッションデパートがあるぞ〜! 「DAIWA」と書いてあるぞ。「ユニー」も併設されているのか!  何より「ミスタードーナッツ」があるぞ!  都会だ、都会だ、大都会だ! あ〜は〜〜、果てしない〜。  こんな小さい町なのに、小躍りしてしまうくらい、感激する。  輪島からずっと、奥能登を回って、あの「S」での惨劇に耐える と、命からがら帰って来た気分だ。  さっそくファッションデパート「パトリア」に入る。 「パトリア」ってのは、『ドラクエ』の馬車の名前だな。それは、パ トリシア! おお! ようやくだじゃれも出るようになったぞ!  トゥルルル…。  おお! このときを待っていたかのように、携帯電話が鳴り出す。  戸田圭祐だ!  ぬかりなく、昨日、携帯電話が繋がらない場所にいることを、グ ルメ・バカ娘にまで電話してくれたそうだ。ひさびさにお手柄だ、 戸田圭祐! ちびっこ探偵の称号を与えん!  午前0時。七尾の「食祭市場」に行く。
市場
     最近はやりのフィーシャーマンズ・ワーフというやつだ。  建物は大きいのだが、活気がない。  あっというまに、見終わる。  お昼をここで取りたかったのだが、どれももうひとつ。  ここでさらに、前に進むことを思いつく。  ようやく本来の冒険魂が頭をもたげて来た。  このところ私は旅行すると、戸田圭祐の掲示板を利用して、読者 のみんなに次はどこに行くかを予想させることが多い。  今回3月1日に和倉温泉に着いたときは「さて、私は北陸のなん という場所に着いたでしょう?」が問題であった。  柴尾英令くんが、『さくま式奥の細道』を終えたばかりから、山中 温泉を推察したり、オーソドックスに金沢と推理する人など、様々。  そんななかで、正解したのは、さくまにあ統計局長として、知ら れるあんくるクン。  私のおなじ路線を二度乗らないという癖などから、推察して行っ て、富山県の氷見(ひみ)から、タクシーで、和倉温泉に入ったに 違いないと推理して来た。  あんくるクンの答えを正解にしたが、コースは違っていた。  でも正解してくれたのだから、やっぱりプレゼントをしてあげな きゃ!という気分になった。  あんくるクンの推理した、和倉温泉の隣りの駅である、今いる七 尾駅から、氷見駅に入ることにした! あんくるクン、こういうプ レゼントのほうがうれしいでしょ!  私は日本という名の水槽にいる、シーマンみたいだな。  一路、氷見をめざす!
☆☆☆☆☆
 午後12時45分。1時間足らずで、JR氷見駅に着く。  案の定、電車は1時間に1本。  あと10分くらいで、次の電車が来る。
氷見
     氷見(ひみ)は、「氷見の寒ブリ」というくらい、日本有数の魚 の美味しい漁港だ。この氷見まで来て、何も食べずに帰るのも何 である。魚がダメなら、氷見うどんをすするだけでもいい。  ひとつくらい足跡を残したい。  氷見駅前のタクシーの運転手にどこか美味しい魚のお店がない かと聞くと、連れて行ってくれた。地元の人しか知らない美味し いお店だそうだ。  こういうのが聞けるから、地元の人と数多く会話しないといけ ない。  5分ほどで、活魚料理の「上家(かみや)」に着く。  何の変哲も無い、ごくありふれた町の割烹料理屋さんだ。  ふだん1日2食なのに、旅先で1日3食ずつ食べる生活で、お 腹がちっとも減らないので、とにかく量を少なくしてくださいと お願いする。  しかし、地方の人の少ないは、都会の人の大宴会。  やっぱり来た!  お刺身が来た! 煮魚が来た! タコの酢の物が来た!  焼き魚が来た! お新香だって、量が多い!  とどめに、味噌汁といって出て来たのが、でかい!   
上家 上家 上家 上家
     いろんな魚がたっぷり入っている。  このお出汁が絶品。こりゃあ、うめーでよ! 現地の人の口調に なってどーする!  お店の人に「この味噌汁の名前は何というのですか?」と聞く。 「名前なんてーもんは、にゃーだよ! 味噌汁っつってっけど!」 潮(うしお)汁とでも名づけてくれると『桃太郎電鉄』の物件と して登場させやすいんだけどなあ。 「毎日入れる魚が違うもんでよ!」  なるほど。それじゃ名前付けづらい。味も違うのかな。  あ〜! また食べ過ぎてしまったじゃないか!  やばいぞ、こりゃ! お腹のベルトが苦しい。  車はそのまま高岡へ!  ゴホッ、ゴホッ、ゲホッ。  まだ数10分に1度は、咳が出る。  早く次の宿にたどり着いて、畳の上で、死にたい! いや、大の 字になりたい!  高岡駅に着く前に、富山名物ます寿しの美味しいお店「高田屋」 さんに寄ってもらう。タクシーの運転手さんい言わせると、絶対駅 の「ますの寿し弁当」は買わないというくらい、こっちのます寿し のほうが美味しいそうだ。  とてもお腹がいっぱいで、今食べることはできないけど、とりあ えあず買う。食べるチャンスはなさそうだ。  駅に戻る。  みどりの窓口で、加賀温泉行きの電車を探してもらう。  えっ! あと5分で、特急が来る。  ひえ〜い! 高岡をもっとゆっくり見たいよ〜! 何たって藤子 不二雄さんのふるさとだ、駅にくるまで『まんが道』で見慣れた景  色がたくさんあったぞ!  う〜む。どうしよう!  やめた! 身体も衰弱しきっている。  もう一度改めて、高岡に来よう!  午後2時26分。高岡駅。スーパー雷鳥に飛び乗る!
☆☆☆☆☆
 午後3時18分。加賀温泉駅に着く。高岡駅から、金沢の次。2 つ目の駅と近かった。  駅前がだだっぴろい駅だ!  国体の開催会場みたいなところだな。  駅の左側に、巨大スーパー「アビリオシティ加賀」というのがあ って、ここでイソジンののどフレッシュを購入する。ついに2日間 で、のどフレッシュをつかい切ってしまった。  こんなに長いこと咳が止まらないとは思ってもみなかった。  山中温泉に向かう。  加賀温泉には、山代温泉と、山中温泉と、片山津温泉と、粟津温 泉とたくさんの温泉地がある。  どこがどう違うとあまり区別が無いようだ。  中途半端に、近くに温泉が点在していて、総称のために「加賀温 泉駅」を大きくしようとしているらしい。  ほかにも、近くには芦原(あわら)温泉というのもあるし、駅の 反対側には、加賀温泉というのもある。  どうもこのあたりで、いろんな名前の温泉名を聞くわけだ。  けっこうこれはずっと私のなかで、長年の謎だった。  やっと解けてうれしい。  タクシーで15分ほどで、山中温泉に着く。  松尾芭蕉も訪れた山中温泉だ。 『さくま式奥の細道』で、つい最近この辺を描いたばかりなので、 なんだか親近感がわく。  それと、万が一、和倉温泉も、珠洲の「S」も最悪の場合に備え て、3日目のきょうは、非常に豪華な宿としても定評のある「かよ う亭」を用意しておいたから、気分もいいのだ。  最悪を想定してたほとんどその通りになってしまったような気も するけどね。ゴホッ、ゴホッ! 咳だけはちっとも好転しない。  午後4時。「かよう亭」に着く。  早くも宿のご老人と、仲居さんが出迎えてくれる。  うほうっ! 豪華な建物だ。  あ〜、やっぱり日本旅館は豪華なほうがいいなあ。  値段からいっても、あの由布院の「亀の井別荘」とおなじくらい のところだ。  まず大きすぎる玄関で、靴を脱いだら、そのまま靴下のままで、 ずっと部屋まで行く。 「東山の間」。いい名前じゃないか!  お〜ほほほほ! 広い玄関だ! 玄関あけて、えっ? 3畳くらいの小部屋が、えっ? これは単 なるおまけの部屋? ふすまを開けると、10数畳の広い部屋だ あ!  下を渓流が流れている。  もちろん雪が積もっている。  きれいな日本画を見ているようだ。  昨日が昨日だけに、落差が、楽さが、どちらも大きすぎる〜!  まず畳の上にひっくり返って、背伸びをする。  気持ちいい〜!  畳の匂いもぷうんと鼻腔をくすぐる!  仲居さんが抹茶と和菓子を持って登場。  さすがにもう和菓子がお腹に入らないぞ。  この調子では、晩ご飯だって、入らない。  少しでも、胃のスペースを空けるために、温泉に入ろう。  おっと、その前に、インターネットが繋がるかどうか、チェック しておかないと! ぷわああああん! カリカリカリカリ〜。この 待ってる時間がイヤだよな、ホント!  おお〜.接続できそうか? パスワードを確認中だ。  やった! OK!  1日ぶりで、インターネットが繋がっただけで、こんなにうれし いなんて。  もちろんこの部屋には、ハイヴィジョンが写るような、どでかい テレビがど〜んと置いてまっせ!  さて、温泉へ。  お〜、誰もいないから、温泉独り占め!  雪を見ながらの温泉は気持ちいいよ〜。  もう明日までずっと温泉に浸かっていたいよ〜。  気持ちいいけど、ちょっと熱すぎる。  あ〜、入院してお風呂に入れなかったのに、やっとお風呂に入れ たみたいにうれしい。  午後6時30分。夕食。  豪華な上に、上品。  あ〜、やっぱり最初から、今回の旅はここだけにしとけばよかっ た。つい欲を出して、能登半島を1周しようなんて思ったのがいけ なかったよな〜.ありゃ。ずいぶん、このジュース、飲むと、暖か くなるんと違う?
かよう亭
「だから、それは焼酎だから、飲みすぎると危ないって言ったでし ょ?」  何? 焼酎とな? 「花梨(かりん)のジュースではないのか? ずいぶんと甘くて美 味しいぞ! 飲みやすいし…」 「だから、花梨は合っているけど、ジュースではなくて、焼酎なの!」  ぎょへへへへへ〜〜〜!  私はお酒はまったくダメなのだよ〜〜〜。  こんなところまで来て、一体何でお酒を!  飲んだのは、自分だよ〜〜〜!  油断した〜!  もう遅い。  顔が真っ赤だ。
かよう亭
 あ〜、気持ち悪い。  ダメだ,座ってられない。 「嫁よ! 枕を出してくれい!」 「どうするの?」 「倒れる!」  かくして、さくまあきら、畳の上で死すとも、自由は死なず!  …というくらい、前後不覚に陥る!    嗚呼! 仲居さんが料理を運ぶ度に、がきん!と頭に響く。  早く回復せねば!  せっかく3日目にして、今回の旅で、最高の料理が出たんだから。
かよう亭 かよう亭 かよう亭 かよう亭 かよう亭
 しかし、何だねえ!  日本旅館で、小さな鍋で、その下に、パラフィンにくるまった固 形燃料にマッチで火をつけて、燃やす鍋ってよく出るじゃない?  あの固形燃料の名前わかんないけど、この固形燃料で鍋を煮る旅館 は、二流の旅館と断定してもいいねえ。  この「かよう亭」なんて、たとえ海苔ひとつ炙るにしても、専用 の小さな炭が入った入れ物を持って来てくれるんだよ。  さっきも、木の実がたくさん入った網の箱をやっぱり、炭で炒っ てくれて、それが美味しいの何の。  このあと、倒れちまったんだけどね。  そうこうするうちに、懐かしい匂いが食卓に並べられているじゃ ないの! あ〜、焼き物の匂いだなあ。 パチパチ香ばしい匂いだ ぞ。鮭とかを焼いた匂いじゃない!  硬いものを焼いた匂いだ。  色も確か、赤いやつだったぞ、これは! 「か、か、蟹だ〜〜〜!」  か、か、か、か、蟹だ〜〜〜〜! 「ずわい蟹よ」と嫁の声。  な、な、な、な、何だずわ〜〜〜い?  そうだよ、ここは加賀の国!  加賀の国といえば、ずわい蟹か、甘海老だよ!  甘海老は、さっきまだ意識がはっきりいていたときに食べて、め っぽう美味しかったではないか! 寒ブリも時期ではないのに、出 て美味しかったことも付け加えておきたい。  そ〜〜〜か、ずわい蟹か! 「旦那さん、せっかくの蟹、食べられなくて、残念でございますねえ!」  お〜〜〜〜、ちょ、ちょ、ちょっ!  ちょっと待ってくれい!  蟹とあらば、そうはいかねえよ!  こちとら、蟹と気づいた段階から、必死に欠伸を繰り返して、酒 気を外に吐き出しているんでいっ!  まったく酒が飲めないから、こんなことして効果あるのかわから んが、次第に、酒が抜けて来たぞ!  ど〜〜〜だ、この執念!  蟹につられて、ゲームを作りに、札幌まで行ってしまった男の執 念を見たか!  よーし! そーと、そーーーと起きるんだっけな。  急に起きると、酔いが回ると、嫁が言っていた。  情けない男だ。  ふわっはっはっはっはっは〜〜〜!  復〜〜〜活ッ! 「蟹だ、蟹だ!」
かよう亭
 おお! さすが、できた、嫁よ!  私のために、ちゃんとずわい蟹の身をほぐしておいてくれたでは ないか! 惚れ直したぞ! 蟹で惚れ直すな!
かよう亭
 土佐酢も用意されていたが、そのまま食す。  この「かよう亭」のレベルの蟹なら、何もつけずとも美味しいだ ろう。その予感はまんまと当たった!  おお! 甘い、甘い!  ふわっはっはっは〜〜〜! 「おひひい〜にょ〜〜〜!」  すっかり勢いを取り戻した私は、ついに最後の雑炊まで食べてし まった。ぷぴ〜、腹が張る!  この雑炊までもが、絶品だったよ!
かよう亭 かよう亭
 馥郁たる香りと味ってのは、こういうものをさすんだろうなあ。  単純に思える味の中に、何種類もの味がちりばめられているって いう感じだ。まいりました!  どの味も、すべておいしゅうございました。  しかし、最後のデザートであるメロンを断念!  メロンが食べられないなんて、もったいない!  でももうダメ〜!  これ以上食べたら、カエルがお腹膨らませて、破裂するパターン になってしまいそうだ!  食後は、しばらくして、コーヒーを飲んで、マッサージさんを呼 んで、極楽、極楽!  嫁は、またお風呂に行ったようだ。  やっと、旅行らしい旅行をしたところで、もうほとんど今回の旅 は終了だ。これから旅の始まりであってほしいよ。
 

-(c)2000/SAKUMA-